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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅰ.左右の章(その3)

>>未分類
陰陽論のルール(その1)-まず主体を考える
 衽の右前合せのように陰陽論を語るときには、必ず「主体が何なのか」というところを考慮しなければなりません。

 表具においても、すべて向かって右を上、左を下とし、たとえば紙を接ぐ際も必ず右上重ねにします。この場合は継がれた紙が主体です。
したがって、日本では現在でもこれが由縁し、封筒の重ねは必ず向かって右を上にしています。

 表具の世界では、左上に接ぐことを起請文(キショウモン)の接ぎ方から生まれた言葉で「起請継ぎ」といい、古くからタブーとされてきました。
起請文とは、かつて契約を交わす際、それを破らないことを神仏に誓う文書をいい、左上重ねで仕立てられるものです。

 左上重ねが禁忌とされたのは、式正の書類を包むときには包み紙が必ず右上になるよう重ねてきたのに対し、たとえば非常の果たし状では上包みを、通常とは逆の左上に綴じたことからもわかります。
そして、これが葬儀など弔事での左上重ねにするという包み事のルールに繋がります。

 さて、掛軸を仕立てる様式の一つに、「風帯(フウタイ)」を用いるものがあります。風帯とは掛軸の展開時に八双(ハッソウ)からぶら下がっている2本の帯をいいます[図-2]。
掛軸の収納時には、この風帯を八双と平行に折り畳みます。この際、主体が掛軸であることから、これもやはり右前となるよう、向かって左の風帯から折り始めます。

img02.gif

[図-2:掛軸各部の名称]

 また、襖が2枚建ち並んだものを「二枚建て」と呼びます。この二枚建ての襖も襖が主体であることから、あるいは襖の向こうに主体があると考えることから、向かって右側が手前に来るよう建て込みます。
これは襖以外の建具、たとえば障子なども同様であり、こうした引違いの間仕切(マジキリ)はすべて右前に遣り込みます。

 さらに引違いに限らず、観音開きの扉であっても向かって右を後から閉じ込むのは同じ理由です。この場合、観音開きに納められたものが主体であるという発想です。

 これは余談ですが、襖や障子の、引違いといった開閉方式は日本で生まれた独自のものといわれます。オランダにも引戸がありますが、これは江戸時代に長崎出島の日蘭貿易によって、かの地に伝わったとされるものです。

死装束と左前
 日本では葬儀の際、ご遺体へは通常と逆に、死装束(シニショウゾク)を左前となるように着せます。これは亡くなった方がお召しになる着方であるので、死人前ともいいます。
このことから左前は縁起が悪いとされ、今でも信心深い方はとても嫌います。

 さらに、これが転じて運が傾くこと、経済的に苦しくなることを左前と呼ぶようになります。かつて縁起を担ぐことが多かった商家では、襖の左前による建て込みですら、ひどく忌んできたものでした。

 ところで、葬儀に関係する物事では、左前に限らず通常とは逆の仕方で行なうことがしきたりでした。これを総称して「逆さごと(さかさごと)」といいます。

 たとえば、ご遺体の枕元に屏風をひっくり返して立てる「逆さ屏風」がそうです。
また、ご遺体を棺に納める前に湯水でぬぐい清めることを湯灌(ユカン)といいます。この湯灌の際に用いる湯は通常とは逆に、水へお湯を注いでぬるくするという「逆さ水」などの風習もそうです。

 さて、ここで大切なことは、陰陽論はそもそも陰と陽を「相反しつつも、一方がなければもう一方も存在しえないもの」と定義していることです。
 ですから、陰の要素とこれに対応する陽の要素には、そもそも格の上下や聖俗の区別がありません。
すなわち、生と死の場面においても、「逆さごと」はあくまで通常行う所作などの順を逆に行うということです。

 また、葬儀では白張提灯(シラハリチョウチン)を用います。提灯には油がひかれたり字や絵がかかれているのが普通です。
それが、白紙が張られただけのものを用いるといった、本来あるべきでない姿・状態のものを使用するのも「逆さごと」です。
なお、このとき特に白紙を張るのには意味がありますが、これは後述します。

左大臣と右大臣の格付け
 主体を考慮しなければならない例に、かつてのわが国の律令制における左大臣と右大臣の位置関係があります。この左大臣は一般の官人から見て向かって右に位置しています。
これを左大臣と呼ぶのは、左大臣が主体である太政大臣の左に位置しているからです。
さらに京都市の左京区・右京区も天皇を主体と見た同様の配置名称です。

 ところで、これは陰陽論と直接の関係はないのですが、中国では「吉事尚左、凶事右」という、左をたっとぶ(尚ぶ)老子や道教の影響で左が上位とされたことがありました。

 中国では時代によって左右の優劣が変わるのですが、日本は中国の歴代王朝の中でも特に左を尚んだとされる唐から強く影響を受けたことから、日本には伝統的に尚左の文化があります。
 ですから、日本では左大臣が右大臣より高位とされます。「あの人の右に出るものはいない」という慣用句も、このことを始まりとしています。

 こうした尚左の考え方は陰陽論と連動し、やがて陽を尚ぶとする、いわば尚陽の思想に発展します。

雛飾り
 桃の節句に行う雛飾りも五人囃子など、すべて向かって右より左へ、上位の者から下位の者へと並べます。これも尚左の思想によるものです。もちろん内裏様は陰陽論にしたがって、向かって右へ配置することが普通です。

 ところが、関東地方の雛飾りは内裏様が向かって左に置かれます。これは大正時代、当時の西欧化政策により、天皇皇后両陛下が御大典の際に陛下が向かって左へ位置されたことに因るものです。
つまり、西欧では右が上位という思想をならって当時の東京玩具協会が左へ内裏様を配置するようになったのが始まりといわれます。

 ちなみに、関西の銭湯では男湯の入口が向かって左、女湯が右。関東ではこれの逆になっているのも、こうした理由によるものかもしれません。

 さて、今日でも絵画で表現される雛(図)は、ほとんどすべて向かって右へ内裏様が描かれます。
そして、面白いのが西洋画法を専門とする画家は、たいてい内裏様を左に配して描いています。

 西欧諸国では並んで立つ場合に右が上位と先述しました。他に西洋と東洋で左右が逆転する例が、舞台の上手(カミテ)と下手(シモテ)です。
つまり、日本では観客席から向かって右が上手であるのに対し、西洋ではこれが逆になっています。

 これは西洋での「右」という言葉が「正義」を表し、またフランスの社会人類学者エルツが「右手=浄、左手=不浄」と考察したように、西洋では伝統的に右を尚ぶ文化があるからです。
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2011年05月17日(Tue)
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