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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-あとがき(前篇)

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 本編では各章のタイトルをご覧いただければわかるように、対比を通して日本のしきたりと和の心を論じました。

 第1章では陰陽五行を身近な例を挙げて解説しています。まえがきにも記したように、表具に限らず伝統工芸や伝統芸能の世界では陰陽五行の知識が必須のものです。

 ところで、屏風は六曲一双が本来のスタイルです。六曲一双屏風は、6面を一まとめにして繋いだものを半双と呼び、これを二つセットで一双(一雙)として用いるものです。
 ですから、いずれか片方を片隻(ヘンセキ)と呼ぶことがあります。

 屏風には他に二曲もあります。二曲屏風はそもそも戦国時代に戦場へ持ち出し陣幕の代わりとしたことから発展したものです。

 なお、四曲屏風は「四」のタブーが薄れたからか、今日ではつくられることもありますが、元来が存在しない屏風です。
ですから、屏風はそもそも、切腹屏風や臨終屏風など特殊な例外を除いて六曲と二曲しかありません。

 ただ、屏風は必ず一双で用いる調度とされました。そして、二曲については一隻(半双)単位で使用されるものも多いことから、六曲一双屏風が式正のものとされます。

 この六曲一双屏風の画題は、かつて月次絵(ツキナミノエ)であることが普通でした。すなわち、六曲一双は12面あることから、一面一面の月単位でその月に因む絵画が描かれたのです。

 しかし、なぜこれを二つセットの形にしたのでしょう。それは左隻(向かって右)に1月から6月を、右隻(向かって左)に7月から12月までを表現し、左隻=陽、右隻=陰として陰陽和合を意図したからです。

 さて、今日、美術館や博物館では向かって右を右隻、向かって左を左隻と呼んでいますが、主体を考慮すれば本当はその逆で呼ばねばならないものです。

 このように、どうもアカデミックな世界では陰陽五行を敬遠しがちであり、しかも胡乱なものに思いがちです。
それは陰陽五行が風水や四柱推命、あるいは陰陽道(オンミョウドウ)の根っこにあるものだからでしょう。

 しかし、しきたりは民族の一つの歴史であり、風神雷神図がそうであったように、しきたりの由来を語るには、往時の考え方や信じられていた思想を参照し、当時の日本人の心を再現しなければなりません。

 ただ、陰陽五行は今日でも未だ根深く息づいています。

 たとえば以前、私がお会いしたお客様に「東奈」さんというファーストネームを持つ方がいらっしゃいました。
おそらく読みづらいのであろう、その名刺には「Haruna」と、ローマ字が付記されていました。

 私がお名刺を見て「陰陽五行によるご命名ですね」と申し上げたところ、彼女にすかさずその説明を求められました。
そこで私がひとしきりお話しした後に、「これまで人に会うたび東をハルと読む理由を尋ねられ、知らなかったことから随分と恥ずかしい思いをしました」とお喜びいただきました。

 「右彦」さんという方にもお会いしたことがあります。ミギヒコさんではありません。すると、この方のお名前はどうお読みするのでしょう。

 答えはアキヒコさんです。「天子は南面す」ということですから、右方は五行説で西。そして、西には秋が配当されることから右彦をアキヒコと読むのでしょう。

 人名への当て字は読みづらいものですが、陰陽五行をその根拠とする命名が今でも割と多くあるように、陰陽五行を基にする考え方は今日でも広く一般に浸透しています。

 そしてまた、コトシロヌシとオオクニヌシをヱビス・ダイコクとなぞらえたように、民族の記憶には悠久の時を超えるものがあることにも留意しなければいけないでしょう。

 第2章では「紅白の章」としたように、主に紅白の意味について記しました。

それは多くの習俗、しきたりがケガレをハラうことへ執着したあまりに生まれたものであるからです。
そして、ケガレがあくまで日本の風土に根差した、健康や防疫へ留意した末に生まれた思想であることにも気づきます。

 ところで、表具師として頭を悩ませたのが、本文で紹介した御霊神に施す、特殊な取合せの根拠です。
それは私も以前、紅白はめでたいときに用いるといった固定観念に縛られていたからです。

 表具は黙して語りませんが、その背後に日本人の心の原風景を写しとっています。それは、そもそも表具の取合せ自体が見立そのものなのであり、表具が作品世界の拡がりに資するものであるからです。
つまり、表具は和の文化的遺伝子を備え、そして伝えるものであるからです。

 ちなみに、水引を掛けた包装紙に用いるような、紅を白で包み込むものに「日の丸」があります。
しかも、(実際の方円相対は寛永通宝のような円形方孔さしますが)まるで陰陽論の方円相対にしたがったかのような、その中心を円(=陽)、地を方(=陰)としたデザインです。

 国旗はその国民性を示す、あるいは国家の理念を表す最大のシンボルです。ですから、日本人にとって日章旗の赤と白は特別な価値を持っており、本文に見た紅白の意味からすれば日本人がいかにケガレを防ぐことに腐心してきたかがわかるでしょう。

 そして、これは今日でもそうであり、たとえば日本での温水洗浄便座の普及率が高いことや、不潔恐怖とまでいえる抗菌グッズの過剰な開発と販売からも知れようというものです。

また、日本以外の国でほぼ見かけない「おしぼり」は、以前からの習慣ですが、ご丁寧なことに「おしぼり」は、それ自体の、あるいはそれが及ぼすケガレをも嫌ってか、「おしぼり受け」に載せることがマナーです。

 ところで、ケガレは本文でも記したように、人の行いの濁って清からぬ意を持ちます。これが一昔前の日本人の良心を築いてきたものです。
「あいつは汚い人間だ」といった形容方法も日本独自のものといわれます。

 また、日の丸の「日」は太陽のことと説明されますが、太陽は天道(てんとう)ともいいます。
天道は仏教用語ですが、天の神をさすこともあり、自然に定まっている道理を意味することもあります。

 この天道は親しみを込めて「お天道様」ともいいますが、この頃ではお天道様という言葉が死語に近くなりました。
「お天道様に恥じない」ように生きるといった、つい先頃まで普通に見られた道徳規範も近今では顧みられなくなっています。

 今日に見るモラルハザードは「隠れて為したつもりの不善もお天道様は知っている」という心を、どこかに置き忘れてきたことが原因の一つと考えています。
 こうした日本人の最大の美徳を取り戻すことができるかどうかが、日本の将来を占うといってよいでしょう。
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2011年07月07日(Thu)
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