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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅰ.左右の章(その2)

>>未分類
方円相対
 陰陽論では円(円形)が陽で、方(方形)を陰としています。これは中国での古い考え方である天(陽)の形状が円、地(陰)の形状が方といった、天円地方の思想と結びついているからです。

 茶道ではこの方と円の関係性を方円相対(論)と呼びます。これは、たとえば茶室へ造作される火灯口(カトウグチ)の形状に、この思想が現されています。
 火灯口とは茶室における亭主の出入り口で、天部が半円形になっている開口部をいいます。円が陽であることから上部(陽)に配し、方が陰であることから下部(陰)を方形とするものです。

 ところで、銭形平次が投げているのは「寛永通宝」とされます。寛永通宝は江戸時代の代表的な銭貨で、その形状が円形方孔につくられたものです。この形状は、そもそも中国で災難除けや幸運を願った、まじない用の厭勝銭(エンショウセン)に始まるとされ、やはり方円相対にしたがったものです。なお、この厭勝銭は中国で通貨として用いられたことはありません。
寛永通宝

 また、会社や商店では代表者印と社印(店印)を、それぞれ円印、角印とするのも方円相対が理由でしょう。

 円と方で思い出すのが、前方後円墳です。陰陽論がいつ頃わが国に伝わったのかは知れませんが、前方後円墳は前円後方墳と呼ぶべきだと主張する学者がおられるように、今日では前が円で後ろが方とされています。そして、古い前方後円墳はおしなべて円が東、すなわち陽の方向に向いています。理由は後述しますが、これは陰陽五行に見合った配置です。

 さて、陰陽論による二元論的な思考方法は、現在でも日本の特に生活文化の中に強い影響が見られます。
 こうした陰陽論で最も身近でよく用いられるのが、右、左です。

着物の陰陽
 たとえば和服を着るとき、右前に着装するというのが古くからの作法です。これも陰陽論からこのルールが生まれています。

 ここで考えていただきたいのが、右前はあくまで皆さんが着物を召されている人に向かって使う言葉です。とすると、着物を着ている本人にとっての右前とは、左側が右側の上にかぶさっている状態をいいます。言い換えれば、このように着ると右手がふところに入るようになります。
 以上のように、左が陽で右が陰なので、左の衽(オクミ)が右の衽より前に来るというのが、陰陽論を反映した呉服着装のルールです。

 ところで、古墳の副葬品に見られる人型埴輪は、よく見ると襟元を左前で合わせています。おそらく古代の日本では左前に着ることが普通だったのでしょう。
 しかし、奈良時代、養老律令で「天下ノ百姓皆右衿ノコト」と定められ、以降は右前が定着しました。なお、このときの百姓とはあらゆる姓氏を有する公民の意であり、また衿(ギン)とはエリのことで衽と同様、着物の前の重ね合せ部分をさします。

 当時は遣唐使の派遣によって唐の文化が流入し、唐様文化(カラヨウブンカ)が栄えようとした頃です。この頃の急速な中国文化の吸収および中国化の必要性が、中国での右前に着装するといった陰陽論による慣習までをも法令化に繋げたのでしょう。
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2011年05月16日(Mon)

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