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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その21)

>>未分類
ほろび
 着物の染色模様に見られる菊一面の中でわずかに表現される裏菊(ウラギク=裏側から見た菊)や、同様の加賀友禅のアクセントとして用いられる病葉(ワクラバ)表現などから知れるように、ごく一部の破調を好む美意識もまた日本文化の特徴です。

 また、表具などで作品周りの装飾に用いる織物のことを裂地(キレジ)といいます。

一部の表具用裂地には、たとえば唐草文様のような連続文であるにもかかわらず、一部不連続な状態を図案化した「破れ(ヤブレ)」「掠れ(カスレ)」を表現したものがあります。

 この破れ・掠れと呼ぶものは、使用限度が過ぎ文様が判然としなくなったような古美を表したものをいいます。
このような破れ・掠れを当初より織物で表現し、好んできたことも、破調に対する美意識の発露でしょう。

 これは古美の発展したものかもしれませんし、たとえば「散らし書き」のような余白、あるいはアシンメトリーを好む心性が深化したものかもしれません。

 今日、ジーンズにはダメージド加工が施されることが少なくありません。ダメージドはあえて使い込んだ様子を、当初より人為的にジーンズ等へダメージを与えて表現したものです。

日本のダメージド加工の水準は高く、これらが世界中から注目され、もてはやされるのは、このような日本人の心性によるものが大きいのでしょう。

 以上のように、和様では完全性を伝統的に嫌ってきました。これに対し、西洋や中国では完全性を追求し、曖昧なものを排除してきた歴史があります。

 ただ、日本では唐様建造物の代表ともされる日光東照宮でさえ、柱一面になされた「屈輪(ぐりん)」と呼ばれる彫り文様が、ごく一部上下逆さまに施されています。
つまり、これも不全をよしとする考え方に基づいてのものです。

 先に、ケガレとは通常あるべき姿が、そうでない状態へ移行するときに生じると述べました。
しかも古くから日本人はあらゆるものにケガレが訪れ、日常の状態がくずれてしまうことをしっかりと認識し、これに無常観、愛惜観を抱いてきました。

 すなわち、完全なるものは完全なるがゆえに、あとは「ほろび」のくるだけであるといったことを嘆いたのだと考えます。このホロビをドナルド・キーンは「(日本人にとっての)美に欠くべからざる要素」としました。
ホロビはこうした意味で、「滅美」と書かれることもあります。

 ところで、和様が月を好んだのは再生の思想ゆえともされます。この再生は陰と陽の循環と捉えることもできます。

 望月は次第に欠けてゆき、やがて晦日で月隠り(ツキコモリ)となっても、次の新月でまた生まれます。

不変を望みつつも、こうした救済システムの存在を日本人は熟知していたからこそ、「ほろび」を美的な理想としてきたのかもしれません。

 また、望月のつねに欠けるところに愛惜観を抱き、これをアワレと感じ入ったのでしょう。

つまり、日光東照宮の例からもわかるように、完全性をモノノアワレの対象としたのかもしれません。

 モノノアワレは日本人の美徳の一つ、人の悲しみも我がことのように受けとめるといった自他同一観の表れであるとも考えます。

自他同一観は日本の禅の重要な思想であり、自他を対立させず一元的になるということですが、古来のアニミズムが由来してか、日本人はこうした心性を生得しているように感じます。

 なお、東日本大震災の際、被災された方がたがこの大きな自然災害を従容として受け入れておられた姿には感動しましたが、これは再生の必ずやあることを先祖代代の智恵として知っておられたからに相違ありません。

 また、その際、日本中の多くの人びとが自粛モードに入ったのも、こうした自他同一観の顕れでしょう。
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2011年07月04日(Mon)
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