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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その12)

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唐様の吉数から成立した五節句
 五節句(五節供)と呼ばれる式日にもまた、「五」という唐様におけるハレの吉数が用いられています。

 節句とは、もともと中国から入ってきた古いしきたりから起こったものです。この五節句には人日(ジンジツ=正月七日)、上巳(ジョウシ=三月三日)、端午(タンゴ==五月五日)、七夕(シチセキ=七月七日)、重陽(チョウヨウ=九月九日)があります。

 節句を古くは節日(セチニチ)といい、節日には朝廷において節会(セチエ)と呼ばれる宴会が開かれました。
そして、数ある節日のうちの五つを江戸幕府が季節ごとの重要な式日として定めたのが五節句です。

 これらは主に奇数の重複、すなわち陰陽五行思想にしたがって、「陽」の重なりが重要視されて生まれた習俗です。
特に重陽は、その名称にも反映しているように一桁の数字の中で最大数の、陽の極とされた「九」の重なりです。

 重陽の節句は季節柄、菊の節句とも呼ばれます。この節句には邪気をハラい長寿を願って菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝います。

 ところで、なぜ菊が長寿の願いを負うのでしょうか。
それは酈県(リケン=現、河南省)にあるとされた甘谷(カンコク)と呼ばれる川に菊が落ち、その川を常用する人に長命な者が多かったからという中国の古い伝承に因みます。

 どうしてこのような伝説が生まれたのかといいますと、紀元前1世紀頃、周の穆王(ボクオウ)に仕えた慈童(ジドウ)が『法華経(普門品)』にある2句の偈を唱える精進のため、この偈を備忘に甘谷の端に咲く菊葉に記したそうです。
その後のある日、慈童がこの菊葉から下露が滴り落ちた甘谷の水を飲んだところ不老不死の仙人になったからといいます。

 ちなみに、この偈が「具一切功徳 慈眼視衆生、福聚海無量 是故応頂礼」であり、これは摘句され禅語として頻繁に書作品化されます。
ですから、これらの書作品も長寿の吉祥意を、その裏に示します。

 そして、この故事が絵画化されたものは「菊慈童図」といい、また「菊慈童」は能楽の題材にも採り入れられています。

 このようにして菊に道教と仏教の二つの要素が取り込まれ、和漢ともに菊が延命長寿のシンボルとなります。

 さて、重陽の節句は中国で最も重要とされたにもかかわらず、現在の日本では宮中を除き、ほとんど行われていません。
それは「九(く)」の重なりを嫌ったという理由もあるでしょうが、端午と桃の節句、および七夕が、日本の古習俗と強く結びついたものであり、他の節句といささか意味が異なるからです。

 かといって、これらの3節句が日本の古習俗だけで成立しているのかというと、そうではありません。

七夕
 たとえば、かつての七夕はそもそも仏事であった盂蘭盆会(ウラボンエ)の一環習俗であり、かつ豊作を祖霊に祈る前のミソギの神事でもありました。

 なお、「お盆」ともいう盂蘭盆は、一般に祖先の霊を供養するという儒教的な行事です。
そして、七月の始めは方角でいえば裏鬼門に当たる時期であり、このとき祭祀を行うのはやはり陰陽の二気が逆転して気が不安定になると考えられていたからでしょう([図-3]参照)。

 「盆も正月もない」という慣用句は忙しくて休暇も取れないさまを表すものですが、盆と正月が対比されるのは、いずれも第1章に述べた「時」における鬼門であるからです。

 七夕(しちせき)を古くは「棚機(たなばた)」とも表記しました。それは日本在来の棚織津女(タナバタツメ)の伝説と習合したからです。
七夕を「たなばた」と発音するのはその名残りです。

 また、七夕はややこしいことに、女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(キッコウデン)という中国の行事が奈良時代に伝わり、いつしかこれとも習合します。
乞巧奠は「巧みであることを乞う女の祭り」であり、道教伝説に見られる天帝の娘、織女(ショクジョ=おりひめ)と、牛飼いの牽牛(ケンギュウ)の物語が元になったものです。

 以上のように七夕は、和漢のいくつもの習俗や伝説が一体となった総合行事です。そして、七夕はこうした理由で陰陽和合の一つの顕れと考えることができます。

 ただ、笹に色紙(イロガミ)や短冊をつけて軒先に立てるといった笹飾りは、江戸時代になってからといわれる日本独特の風習です。
そして、七夕に用いる笹は精霊(祖霊)が宿る依代が起源だと考えられています。

 この笹飾りで用いる「五色の短冊」の色は、一般に青、赤、黄、白、紫です。黒の代わりに紫が用いられるのは、おそらく七夕が多く道教説話と日本の神話に因むものであるからでしょう。

 ところで、かつて宮中では節日に赤飯が食されたといいますが、七夕、および端午と桃の節句はケガレをハラうという点で強く共通する節句です。

 七草の節句ともいう人日にも、邪気を払い万病を除く占いとして七草(七種)を食べる風習がありますが、これは古くに中国で「七種菜羹」という7種類の野菜を入れた羹(アツモノ)を食べて無病を祈る習慣が元になったといいます。

 また、俗に七草を食べるのは御節料理で疲れた胃を休める、あるいは野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うためともいわれます。

 さて、つぎには端午と桃の節句について、唐様-和様の構図を探ってみましょう。
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2011年06月25日(Sat)
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