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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その10)

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Ⅲ-② 吉数

 唐様と和様では吉数も異なります。一言でいえば唐様では奇数、和様では偶数を吉数としています。

 唐様で吉数を奇数とするのは陰陽五行の影響です。
これは奇数が陽、偶数を陰とするからであり、奇数を偶数より格上とするのは先述の「尚左」思想と連動しているからです。

したがって、儀式などあらたまったハレの場で用いる数字は特に七、五、三が多く見られます。

 なお、最高の陽数とされる九が、日本でハレに用いられることが少ないのは、「九」が「苦」に通じるとした言霊によるものでしょう。

 さて、五に関わる事物が五行説を由来とするのはもちろんのこと、たとえば日本料理で式正の膳立とされる本膳料理での献立に見る一汁三菜や三汁七菜、結婚式での三三九度、また命名の儀を行う「お七夜」や子供の成長を祝う行事「七五三」など、奇数をハレの数字とする例は枚挙にいとまがありません。
 さらに「注連縄」を「七五三縄」と表記することがあるのも、シメナワが式正の場面で用いられることを反映しているのでしょう。

 ちなみに、古代中国では0(ゼロ)の考え方はなく、したがって陰陽論で奇数が陽、偶数を陰とするのは、1が始まりで2がこれに次ぐからです。
たとえば数え年での年齢は、生まれてすぐが0歳ではなく1歳とするのも、0の概念がそこにないからです。

和様の吉数-「八」
 一方、和様では偶数のなかでも「八」と「六」が好まれます。これには道教の考え方が強く反映しています。

 なお、今日でも中国の民衆の間では、「八」と「六」を縁起の良い数字として喜びます。
中国は唐様の本家本元なのですが、これは道教思想が民衆の間で深く根付いているからでしょう。

 さて、まず「八」を好むのは、八角形が道教思想において宇宙観を示しているといわれるからです。
法隆寺の夢殿が八角形であるのも、聖徳太子が道教思想を多く受容したゆえのことでしょう。

あるいは、正八角形が陰陽和合を表していると考えられるからかもしれません。これについては後述します。

 この陰陽和合についていえば、十七条憲法の「十七」という素数の謂れは、『維摩経』にある菩薩の心事十七項目に因んだものとされますが、聖徳太子が陽の極大数「九」と陰の極大数「八」を和して陰陽和合を表したという説もあります。

 なお、「和」をモットーとした聖徳太子が建立したとされる四天王寺の寺紋は、二つ巴紋であり、これは陰陽魚太極図に近しいデザインのものです(陰陽魚太極図→[図-1]参照)。

 さて、いずれにせよ道教の色濃い影響を受けた神道においても八角形は最高の格式を持つとされ、これが由縁して「八」が神数とされます。

 たとえば八百万(ヤオヨロズ)の神がみのみならず、三種の神器である八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)や八咫鏡(ヤタノカガミ)、あるいは君が代の歌詞にある八千代など「八」は神道にとって重要なナンバーです。
そして、『古事記』にも、それこそ「八」のつく事物がごろごろと記されます。

 そもそも「八」は「弥(いや)」という語と同源で、弥は「大きい」または「数が多い」、あるいは「幾重にも重なる」といった意を表します。
そして、日本では古くから、たとえば弥重歯を八重歯と書くように「弥」に「八」の字を当ててきました。

 また、「や」は「弥」の意味から発展し、古語で「おめでたい」という義をもつ接頭語とされました。

ですから、「八」は「大きくて(あるいは数が多くて)めでたいもの」という意味になるでしょう。

 しかし、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)といった使用法から見ると、「弥」に悪気や祲兆(悪い兆し)の意もあることからか、はたまた御霊信仰の観点からか、「畏れ」あるいは「畏れおおいもの」をも表したのかもしれません。
あるいは、歴史に語られるスサノヲの性格を考えると、そもそも八岐大蛇は天つ神系であったとも考えることができます。

 ところで、神への御供え物(神饌)を盛る容器のことを折敷(オシキ)といいます。
これは古に木の皮や葉などの隅を折り敷いて食器の代用としたことからの名称といわれ、今日では「衝重(ツイガサネ)」にその名残が見られます。

 衝重とは片木(ヘギ=檜の素木)を折り曲げて底に足を付けた台、すなわち足打折敷(アシウチオシキ)をさします。なかでも、この足の側面三方に孔が空いているものが三方(サンポウ)と呼ばれます。

そして、この衝重を上方から見ると、八角形または四角形をしています。
 後者を特に傍折敷(ソバオシキ)ともいいますが、「傍」が本筋からそれたところという意味であることから、八角形がより格上とされます。

 さて、神紋として多用される折敷紋は、この八角形を写し取ったものといえ、ここにも八角形を尊ぶ思想が見られます[図-14]。

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[図-14:折敷紋]

 また、天皇家の御家紋は十六弁八重菊です。鎌倉時代、後鳥羽上皇が特に菊を好まれ、菊紋は爾来変遷を経て皇室専用の紋章となりました。
そして、この菊を八重菊としたのは八角形を尊貴な形としたところにもよります。

 表具では、かつて天つ神系の作品を軸装する際、その軸先には断面が八角形状のものを用いました(軸先→[図-2]参照)。
この様式は今日でこそ見かけませんが、つい大正時代には現役であった仕様です。

和様の吉数-「六」
 道教では、六角形が世界観を示すものとしています。そして、日本でも六角形は八角形に次ぐ格のものとされます。

 これは古の天皇や皇太子の古墳が八角形であり、六角形のものはそれに準ずる格の高い貴人を埋葬する墳墓に用いられたことからもわかります。

 正六角形を表す文様には亀甲文があります。亀甲文とは正六角形、あるいはこれが蜂の巣状に連続する文様をいいます。
また、前者を亀甲形、後者を亀甲繋ぎと呼称し分けることもあります。この文様名は日本で名付けられたもので、亀の甲羅に似ていることからといわれます。

 中国で古くは亀の齢が一千二百歳(日本では万年)とされ、亀は千歳を経れば霊(不思議な力)を具えて吉凶を知るといわれます。
そして、百歳で一尾を生じ千歳にて十尾を持つとされていることから、古典的な絵画や文様に表される亀は多くの尾を持った霊亀で表現されることが普通です。
 また、霊亀は蓑亀(ミノガメ)と呼ばれることもあります。蓑亀は長く生きるうちに尾部へ海藻が付き、これが蓑形状になった姿から名付けられたといいます。

 いずれにしても亀が延命長寿を表象するものであり、図案化された亀も古くから同様の意を表すと考えられました。これが発展し日本で亀甲文は長寿を寓意する吉祥文とされますが、文様を伝えた本家の中国では、正六角形を亀と結びつけてはいません。

 この日本でのみ長寿の願いを負う亀甲文は、たとえば産所屏風(ウブヤビョウブ)の裏貼に用いられました。
産所屏風とは白絵屏風の一種であり、お産のときに用いられた屏風です。
この白絵とは白い綾織の絹を貼ったものに雲母で絵を描いたものをいい、産所屏風の表へは、やはりいずれも長寿を表象する松竹鶴亀が主題として配されます。

 なお、これへ白地が用いられたのは白不浄(産穢)に対する結界であることに疑う余地がありません。

 また、裏貼に亀甲文が用いられたのは、長寿の願いのみならず格式の高さを表すためでもあったのでしょう。

この亀甲文の単位形象、亀甲形も折敷紋と同様に神紋として、あるいは敬神家の家紋として多用されるものです。熨斗鮑を六角形に折った紅白の紙で包むのも、こうした理由でしょう。

 ちなみに、熨斗鮑はそもそも格式の高い生臭です。
というのも、天照大神を伊勢神宮へ導いた斎宮、倭姫命が伊勢の国崎を訪れたとき、海女の差し出したアワビのあまりのおいしさに感動し、神宮への献上を願ったという伝説があるからです。
 これを由縁として、第2章の冒頭で記したように、鳥羽市の国崎には神宮司庁所管の御料鰒調整所(ゴリョウアワビチョウセイジョ)が設けられています。
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2011年06月23日(Thu)
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