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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その7)

>>未分類
龍と鳳凰
 日月に龍、あるいは日月に鳳凰が天皇を象徴するものとされてきました。絵画で、この日月が並べて描かれるとき、それぞれ一般に金と銀で表現されます。

 日月で表されるのは陰陽和合を意図したものでしょうが、これは見方を変えれば、天皇が唐様と和様を統べる者と考えることができます。

 かつて公家が銀を愛でたのは、自分たちは陰、すなわち月のような存在であると考えてきたからでしょう。
つまり、つねに追従する対象を求め続けるというのが、和様の本質の一つといえるかもしれません。

 ただ、こうした立場に甘んずるというのは、人によって鬱屈の溜まるものではあったでしょう。

 ですから、江戸期には決して政治の表舞台に立てなかった公家にとって、追従の対象が中国唐様ではなく、あきらかに武家唐様にシフトしますが、それを統べる天皇の存在が精神的な支柱として脳裏にあったことは疑いえません。
これはまた、武家からしても同じでしょう。

 さて、中国ではかつて龍や鳳凰の現れが最高の瑞祥であると考えられていました。こうした伝説が天皇の象徴に龍や鳳凰が用いられた由縁です。
 龍は四霊(麟・鳳・亀・龍)の長とされることから、龍文が三国(中国・朝鮮・日本)ともに天子(君主)の文となります。

 こうした謂れからでしょう、かつての中国では天子が龍の子供とされ、龍文は宮廷関係以外への使用を禁じられていました。さらにいえば五爪の龍文の使用は天子に限られ、四爪龍および三爪龍は天子の一族用であったといいます。

 一方、鳳凰は「英君出ずるとき竹の実をくわえて桐の木に棲む」という中国の故事によって、天皇を象徴するものとなりました。

 なお、この伝説を文様化したものが、鳳凰に梧桐(アオギリ)と竹を配した桐竹鳳凰文です。桐竹鳳凰文は麴塵文(キクジンモン)ともいいます。
この麴塵とはそもそも天皇が軽い儀式のときに着装される袍(ホウ)の染め色をいいます。

 ところで、中国の天子が龍文を専売特許にしたからか、天皇の象徴には龍よりも鳳凰を用いることが多いようです。

 また、龍と鳳凰を並置させるときには陰陽五行のルールにしたがい、龍は向かって右、鳳凰は向かって左へ配します。

 こうしたことから、龍が唐様、鳳凰は和様と考えることができます。
また、龍文を日本では高僧の書作品に用いるというのが表具師の口伝であることからも、これが窺えるというものです。

 龍は権力、鳳凰が高貴や富貴を表すといわれ、「龍鳳呈祥」と称するように龍文と鳳凰文が一組で扱われることもあります。
このとき日本では俗に龍が男、鳳凰が女を示すとされ、これによって日本の龍鳳文は男女の愛情をも意味するようになりました。

 日本でこの龍鳳をセットにした図柄は、結婚式の、たとえば引出物の包装紙のデザインなどでよく見かけます。
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2011年06月20日(Mon)
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