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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その6)

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金と銀
 唐様と和様では金と銀の嗜好にも差が現れます。

 金が尊貴な情感をもたらすものと考えたのは古代ペルシャ文化とされますが、その東方への影響はインドで留まり、当時は東洋にまで至らなかったといわれます。

 このような尚金思想が日本に招来されるのは、仏教の伝来と同時的なものであり、この理由で金が仏教の荘厳と結びつきます。
ですから、たとえば表具では仏教主題の作品へ金襴(キンラン)を多用します。

 ちなみに、金襴は中国で宋代に織り始められたといわれます。そして、わが国へは鎌倉時代にもたらされ、武家社会が確立する室町・桃山時代には数多く舶載されました。
日本では、この頃に需要が高まったのでしょう、室町末から桃山時代に織法の完成をみたそうです。

 さて、金と同様の価値性を示すものに銀があります。

 金襴の日本への渡来が以上のように比較的遅いことから、たとえば表具ではそれまでの格式高い作品に、錦(ニシキ)織物を用いてきたという歴史があります。

 しかし、金襴や銀襴など箔糸入り織物が国産された以降は、宸翰(シンカン)など格の高い〔行〕作品へ銀襴を用いるようにもなりました。

 白銀(シロガネ)とも呼ばれる銀は、雲母と同じように白系で光輝性を示す金属です。これをもってか、銀が伝統的に和様の仕様で用いられます。
もちろん、和様での銀の使用は唐様=金との対比、あるいは対抗による理由もあったことでしょう。

 襖の引手にも銀製のものが多く用いられてきました。この銀引手もやはり主に〔行〕での仕様です。
これに対し、唐様、たとえば寺院や居城などの本格的な〔真〕の書院では、金銅(コンドウ=金鍍金、銅地金)製か真鍮製の、しかも隅ずみまでこうごうしいほどに加飾された金色引手(御殿引手)が好まれました。

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[御殿引手]

 なお、当時の真鍮は、この合金技術が低かった江戸初期において極めて貴重な金属とされたものです。

 ところで、銀(銀イオン)はバクテリアなどに対し強い殺菌力を持つことが経験的に知られています。今日でも、抗菌剤としてプラスチック製品用に最も多く使われているのが銀ゼオライトなど銀系抗菌剤と呼ばれるものです。
これも銀イオンが菌の繁殖活動を抑制する働きを利用したものです。

 手が直接に、しかも頻繁に触れる機会が多い襖の引手に銀が多用されたのは、こうした理由も大きかったのではと考えます。
つまり、殺菌という概念は近代までありませんが、銀にケガレをハラう機能があることを経験的に知っていたからでしょう。

 襖の引手には銅も多用されます。銅イオンもやはり極微量で細胞の活動を奪うという極微量作用、つまり殺菌機能を持っています。
さらにいえば、真鍮もまた、銅と亜鉛との合金であることから、極微量作用を備えています

 さて、戦国武将の織田信長は金本位制度を試みたにもかかわらず、江戸時代には「関東の金遣い、上方の銀遣い」とか「江戸は金目、上方は銀目」といわれたように、当時の貨幣制度は関東で金本位制、関西が銀本位制となりました。
すなわち、価値尺度を将軍家のお膝元である江戸で「金」、天皇が住まわれる上方で「銀」に置いたものです。

 二本立てとなった背景には、東日本で金山、西日本では銀山が多かったため金と銀の使用圏がそれぞれ東日本と西日本に集中するといった理由が主であったのでしょうが、これも唐様と和様が対立していた構図の一つであったのかもしれません。

 襖の引手に〔行〕で銀を用いたのは、銀に資産的な価値を見出していたことに疑念の余地はありません。

 ただ、唐様でも同じように銀引手を用いなかったのは、やはり武家や寺家の唐様文化が金の方へより一層の価値を見出していたからでしょう。
日本で城や寺院の書院に金引手が現れるのは室町後期頃といわれます。
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2011年06月19日(Sun)
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