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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅰ.左右の章(その1)

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第Ⅰ.左右の章 

 日本のしきたりには、外来文化に根差すものと、在来文化から発展し慣習化したものがあります。今日見られる外来文化に基盤を置くしきたりは、ほとんどが中国由来のものです。

 そして、こうした中国文化を背景とするしきたりには、陰陽五行が深く関わっています。

陰陽五行
 陰陽五行とはそもそも古代中国に起源する哲理とされたもので、陰陽論と五行説が結びついたものです。

 陰陽五行は中国の民族信仰である道教や儒教に多大な影響を及ぼしました。当然、インド渡りの仏教も中国で陰陽五行の洗礼を受けています。また、神道の体系化にも陰陽五行が活躍したことから、神道における慣わしにも陰陽五行の影響が諸処に見られます。
 ただし、陰陽五行は決して宗教的な思想を説明するものではありません。

 陰陽五行はカビの生えたような考え方とする人があります。すなわち、西洋由来の近代科学思想が、東洋の陰陽五行といった前近代の思想を文化の片隅に追いやってしまったという現実があります。これが今日、陰陽五行とこれに関わる事物が見えづらくなっている理由です。

 しかし、陰陽五行が日本人にとって今なお大切で忘れてはいけないのが、かつてはこれによって物事の理を表す説明体系が構築されていたことです。すなわち、近代科学が未発達であった頃には、陰陽五行が一つのモノの尺度、あるいは自然の摂理として信じられていた事実があったからです。
 
 こうしたわけで陰陽五行はかつての日本文化に大きな影響を及ぼしました。したがって、たとえば表具を行う上での約束事にも陰陽五行をルーツにするものが多くあるように、しきたりを探るには陰陽五行を知らなければ説明できないことが数多くあります。

 ところで、この陰陽五行の理を基にした、道教の影響を色濃く受けたとされる方術が日本に伝来し、これへ密教や神道その他の精霊観が合わさって成立したものに「陰陽道」があります。
 陰陽道は多くオンミョウドウと発音し、今日ではインヨウドウと呼ばないように、この陰陽道は日本独自の信仰体系です。
 なお、これを司る者が平安時代の安倍晴明に代表される陰陽師(オンミョウジ)です。この陰陽師達はさまざまな迷信をつくり出しました。

 かつて政治にも深く関わっていた陰陽道ですが、今日では疑似科学とみなされるように、陰陽道は近代科学思想に照らせば多分に胡乱なものです。陰陽五行を胡散臭いと感じられる方が多いのは、この陰陽道との混同があるからというのも理由の一つです。

 さて、こうした陰陽五行をまず、陰陽論と五行説に分けてお話ししてみようと思います。


Ⅰ-① 陰陽論

 陰陽とは相反する陰と陽の二気のことであり、陰陽論ではこの二気を万物に当てはめます。たとえば太陽が陽で月が陰、男が陽で女が陰、上が陽で下が陰、奇数が陽で偶数が陰、また左が陽で右が陰と説きます。

 すなわち、これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在しえないと信じられてきたものです。簡単にいえば、世の中は表と裏、プラスとマイナスでできている、ということです。

 そして、これが発展し、陰陽論は陰と陽の二気の消長により万物の生成変化を説き、こうした二気が調和して初めて自然の秩序が保たれるとする二元論的な思想となります。
 つまり、一方が廃れば、もう一方の気が興る。この循環がよどみなく続くことによって、世の中の安定を保つことができるという考え方です。
 なお、こちらを以降は、特に陰陽二元論と呼ぶことにします。

陽暦と陰暦
 陰陽論は、どのような形で今に残っているかといいますと、たとえば言葉で探れば陽暦と陰暦があります。
 陽暦は地球の公転運動、すなわち1太陽年を基本単位にした暦で、太陽暦ともいいます。そして、陰暦とは月の満ち欠けを基本単位とした暦で、太陰暦ともいいます。

 ちなみに、太陰暦では季節が合わなくなってしまうので、日本では明治6年まで季節が符合するよう、太陰暦を修正した太陰太陽暦を使用してきました。これを私達は旧暦と呼んでいます。

 さて、陰陽論は中国古代に、自然と人生の変化における道理を説く易の思想と結びつきました。この易では「太極」が万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生ずるとしています。そして、まず太極より日と月が生まれたとされることから、日のことを太陽、月のことを太陰と呼ぶようになったといいます。
 なお、「易」の字自体が「日」と「月」から構成されるとする説もあります。

 陰陽思想を図示したものにはさまざまありますが、これを一般に太極図と呼ぶのもこれが由来です。なお、大韓民国の国旗には、円図とも呼ばれる太極図の流れを汲むものが中央に描かれることから、これを太極旗と呼ぶのはこうした理由です。

[図-1:太極図]
[図-1:太極図]

 [図-1]は陰陽を勾玉形に表現し、これを魚に見立てて陰陽魚太極図とも呼ぶ、最も一般的な太極図です。このとき白抜きが陽、黒ベタが陰を表し、それぞれに見える小さな円は陰の気が極大となっても陽がある、逆に陽の気が強くなれば陰が生じ始めるといった陰陽二元論を示すものです。

 ところで、日の光を日光といいますが、月のあかりは光であるにもかかわらず、月影ともいいます。それは陽=日=光、陰=月=影と陰陽論は規定するからです。また、古くは生前住む家が「陽宅」、墓が「陰宅」と呼ばれたことも陰陽論に根差します。
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2011年05月15日(Sun)

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