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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その1)

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Ⅲ.和漢の章

 室町時代に成立した『菅家遺誡』という書物に「和魂漢才」という言葉があります。これは中国の学問を学んで、それを日本固有の精神に即して消化することをいいます。

こうした考え方は「漢」を「洋」に置き換えれば今日でも有効です。

 ただ、前章までで見てきたように、日本の文化は「漢」、すなわち中国文化に由来する漢文化と、「和」、すなわち日本固有の精神から生まれた在来文化に由来する和文化の混在状態であるのは確かです。

 そして、そもそも和文化は漢文化と相対することによって発露し、アイデンティティーが見出されてきたものです。

 そこで本章では、日本に残る漢文化と和文化の対比を通して、和の心を探ってみることにします。

三体九姿
 日本文化の特徴は、その重層性にあるといいます。こうした重層性や日本文化の構造を語るとき、伝統的に用いられてきた便利な手法があります。

これが「真行草」と呼ばれる、あらゆる日本文化のスタイルを三体に分類して考える仕方です。

 この三体は、「真は行を生じ、行は草を生じ、草は走るが如し」という中国の書体、すなわち楷書(真書)、行書、草書から生まれたものといわれます。
 また、華道では端正厳格なものが〔真〕、少し崩して柔らかみをもったものが〔行〕、そして大いに崩して柔らかみをもったものを〔草〕とする、と定義されます。

 しかし、これではあまりに曖昧です。

 この点、表具の仕様は、これらのスタイルへ個別に対応しています。たとえば軸装において、「南無阿弥陀仏」など名号(ミョウゴウ)と呼ばれる書作品は〔真〕のスタイルで行い、仮名書の作品は〔行〕のスタイルで行います。

また、同じ〔真〕の仕立でも名号と仏画の仕様を違えるように、表具では数百年前から「真行草」を厳密に区分しています。

 というのも、表具はすべて糊で組み立ててゆくので、作品にとって表具地(作品周りの装飾)は半固定的な衣であり、作品の性格を汲み取ってコーディネイトしなければいけないものであるからです。
 いいかえれば、表具は作品の一部となることから、表具師にはあらゆる様式の作品群に対応すべく個別の口伝がなされているからです。

 そこで、表具師の口伝から探ったところの表具文化と照合し、「真行草」をおおまかに現代の基準で言い直してみることにします。

 三体の〔真〕とは外来文化に根差す好み、すなわち唐様(カラヨウ)と総称される、仏教文化と、近世における中国文化を意識した武家好みをさします。

 また、〔行〕とは日本文化のなかでも和様(ワヨウ)、すなわち朝廷文化と公家文化に代表される純日本的な好み、〔草〕とはそれら以外の雑なるものというのが本来的な区分の仕方です。

 ただ、〔草〕は江戸期以降、千利休によって大成された茶道の仕様を意味するようになります。
しかも茶道(抹茶道)文化は武家文化や禅文化に負うところが大きく、この点が少し「真行草」をわかりづらくしています。

 さて、表具や華道など伝統的な世界ではこれをスタイル化するため、さらに分化させます。その華道では三体(真行草)を九姿に分類します。

 つまり、九姿は三体をそれぞれ三つに分化し、たとえば〔真〕を真の真・真の行・真の草というように3×3の九つに分類するものです。
これを伝統的な世界では「三体九姿」と呼んでいます。

 三体九姿を、たとえば〔行〕についてもう少し詳しく分けて考えてみると、〔行〕には公家がハレの場で旨とした漢文化を下敷にする男性的な〔行の真〕、および宮廷の女御達の好みを今に引き継ぐ女性的な〔行の行〕があります。

 ちなみに、それら以外の雑なる〔行〕、なかでも江戸時代、幕府による奢侈禁止令などの規制をうけて発達した町人文化が次第に〔行の草〕を担うようになります。

 このように三体九姿は、漢文化とされる〔真〕にも和文化とされる〔行〕にも、さらに下位の概念において漢文化と和文化が併在するという構造をしています。

 日本文化を専攻する外国人研究者は、その美学を語るとき、「いくつもの特質が挙げられ、しかも相反する性格のものが交錯している」ことを嘆きます。

これは先に挙げた日本文化の重層性が起因しているからです。つまり、立場、好みの相違によって日本ではいくつもの美意識の潮流が存在しているからです。
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2011年06月14日(Tue)
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