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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅱ.紅白の章(その21)

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Ⅱ-⑧ 紫は尊貴な色

 前漢の武帝はことさら紫を好み、他の者の使用を禁ずる「禁色」としました。
そして、自らの住まいを「紫宸」や「紫極」と表して以来、中国では紫が最高位の色となってゆきます。

 「天子は南面する」ものであるので、中国の皇帝の服色はもともと北の配当色である黒であり、対極にある赤がその裏地に使われました。

 であるにもかかわらず、天子が紫を好んで身につけるようになった背景には、「水の黒を以って火に克つ、これを赤黒合してすなわち紫になる」とした五行相克という考え方によります。

 五行相克とは、木が土に克ち、土は水に克ち…といった五行の相関を説明するものの一つです[図-13]。
こうした説明体系からも今日では迷信とみなされるものが多く生まれています。

img16.gif

[図-13:五行相克]

 いずれにせよ、これをもって道教では紫が宇宙統一、陰陽和合を示す色と考えられました。
また、玄が黒くして赤色を帯びる色とされたことから、この色を求めるために、一度赤で染めその上へ黒を染め重ねることもありました。

 ところで、天皇という語は一説に中国の故事、「北辰伝説」から取り入れた称号といわれます。
この「北辰」とは北極星を意味し、古代中国の道教思想において北極星(北辰)を神格化した宇宙の最高神が天皇大帝とされ、これを略して「天皇」と呼んだ、というものです。

 そして、中国では天皇大帝を「天帝」と略し、「天子」が天帝に代わって国を治める人を意味するのはこれが由縁とされます。

 さて、道教伝説によれば、北極星の天空から地上へ向かって放つ光芒が紫色とされ、これをもってか紫色が日本で天皇もしくは天皇家、あるいは天皇が執務される宮殿(紫宸殿)などを象徴する尊貴な色となります。

 なお、「宀」は交差して覆う屋根の形を象ったものであり、家屋を意味します。
ですから、この紫宸殿の「宸」は辰(北辰=天皇大帝)が住まう宮廷を意味します。

また、十二支で辰に龍を当てたのも、これが由縁でしょう。つまり、龍が四霊(中国古来の四方の守護神)の長とされてきたからの格式高さの表現です。

 そして、第1章で述べた「天子は南面す」というルールも「辰」が「北」に位置することから、自然と「辰(=天子)」は南に向かう、といった考え方に繋がったのでしょう。

 これが転じて「宸」は、たとえば天皇がお書きになったお手紙を「宸翰」というように、天皇や中国の天子に関することへ添える語となります。
表具では、この宸翰を軸装するときも紫地の織物を作品廻りに使用します。

 この紫はさびたやや赤みの紫色をさし、伝統色名でいえば本紫をいいます。本紫は紫根、すなわち紫草(ムラサキソウ)の根から採取する染料で染め出した色です。この紫草は今日でも栽培が難しいように、多く採集できないがゆえに高価であり、かつ濃い紫ほど染料を多く必要とします。このことによっても濃い紫色は伝統的に高貴な色の代表と考えられてきました。

 なお、平安時代から単にコイロ(濃色)、ウスイロ(薄色)と呼称される伝統色名は、それぞれ濃い紫、薄い紫をさしていることからも王朝貴族がいかに紫を好んだかが窺えます。
また、紫根は解熱、解毒剤として生薬にも利用され、紫草は古くから鹿狩りの植物版ともいえる雅な行事、「薬狩り」の対象ともされました。

 ところで、日本でかつて勅許により着用を許された僧衣(僧侶の衣服)の色は最高位が紫(紫衣)、次いで緋(緋衣)、そして以下が黒(黒衣)とされていました。
 紫衣は本紫系の色です。緋衣の色は洋色名でいえばスカーレットに対応し、正色の赤ではありません。そして、黒衣の黒も玄色ではなく、墨染色です。

冠位十二階の制と五色
 聖徳太子が制定した冠位十二階の制(603年)における色の配当も、五色の考え方を受け継いで発展させたものです。

 冠位十二階の制とは冠の色と位階を結びつけたものです。
この冠位制は位階を徳、仁、礼、信、義、智の6段階に分け、さらにそれぞれへ大小を設けて12段階とした制度です。そして、おのおのに相当する色を定めています。

 さて、冠の色には、徳=紫、仁=青、礼=赤、信=黄、義=白、智=黒が充てられました。そして、位階の大小には、このときの色の濃い薄いが対応します。
 たとえば「徳」に大徳と小徳があり、それぞれ濃紫(こきむらさき)、薄紫(あさきむらさき)の色が充てられました。

 この冠位十二階の制は、色制だけで見れば正色の最上位に紫を加えたものです。
儒教においては正色を尊ぶことから、孔子の「紫の朱(アケ)を奪うを悪(ニク)む」という言葉(『論語、陽貨篇)』)が示すように、正色でない紫色は儒家にとって反価値的な色です。

 そして、冠位十二階の制がヒエラルキーを定めたものであるので、聖徳太子は儒教の上に仏教や道教を位置づけた、あるいはこれらの宗教による儒教の抑制を主眼とした、とも考えることができます。
つまり、「日本は中国のような儒教国家ではありませんよ」といいたかったのかもしれません。

 ところで、冠位十二階の制では、紫はさておき、以下の色の順位を五行説に則って、青→赤→黄…と、正確に定めています。
これは1年が春(「木」)から始まるように、五行が「木」から始まるからです。

 (主体の存在しない)古地図が東を上としているのもこれが由縁です。また、19世紀中頃の中国を起源とする麻雀というゲームで親が東から始まるのもそうです。
 ちなみに、麻雀の親は東→南→西→北と移行するのですが、東の右隣が南の席であり実際の位置関係とは逆になっています。
これは麻雀が天の神がみが興ずるゲームとされたからです。

 つまり、たとえば薄い紙に東西南北を位置通り記して下から紙背を透かし見ればわかるように、天界では四方の位置が、地上のそれとは鏡像関係になっていると考えられたからです。

 なお、東西南北が左右対称の文字となっているのは、上から見ても下から覗いても同じに見えるよう意図されて生まれた漢字なのかもしれません。

 余談ですが、麻雀が天界の娯楽という設定は、地界で親(施政者)がころころ変わっては具合が悪いと考えたところによるのかもしれません。
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2011年06月13日(Mon)
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