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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅱ.紅白の章(その19)

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Ⅱ-⑥ 黄

 黄色が五行説において中央に配されたのは、中国大陸の黄土と無縁ではありません。
そして、中国が世界の中心とする中華思想を基にするのか、五行説においては黄色が五行の根本となる色とされており、これには中国で邪をハラい疫を防ぐという信仰があります。

 また、黄色は中国の天子が「黄衣」とも呼ばれたように、かつては皇帝しか使えない禁色でした。
たとえば北京にある紫禁城の屋根瓦が黄色であるのは、かつて紫禁城が皇帝の宮殿であったからです。

 ただ、日本では黄色がさほど尊貴な色として扱われてこなかったようです。
飾り気がない色の意味で「生(き)」とした、という「黄」の語源説の一つがあるのも、黄色を権威性と結びつけて考えてこなかったことを裏付けています。

 また、たとえば天皇の袍の色は黄櫨染(コウロゼン)、皇太子の色は黄丹(オウニ)とされます。これらは現代に至るまで禁色とされている色です。
いずれの色名にも「黄」が付いていますが、黄櫨染は中明度の褐色であり、黄丹もどちらかというと赤系の色です。

 古代日本では黄がアヲ・アカ・シロ・クロといった基本的な色彩語に含まれてはいませんでした。
それは、これら4色には形容詞があること、たとえば赤を「アカい」というように黄には「キい」という語がないことからも知れます。

 なお、これを緑について敷衍すれば、「ミドリい}という形容詞がないことも、緑が青の一構成要素と認識されてきたことがわかります。

 また、奈良時代には黄が単独で色名として用いられた例がなく、黄の色名は平安時代以降に確立したとされます。
 それまで「黄」は「赤」の範疇とされてきました。

たとえば白木(素木)が経年によって黄色の濃いものに変わった色を、表具など伝統工芸の世界では今でもアカ(イロ)と称しています。
そして、薄い黄(生成り色)が、白と同義で扱われたことも黄の色名として独立するのが遅かった理由でしょう。

 なお、障子紙など手漉きの紙には表具の世界で符丁する、白口(シロクチ)と赤口(アカクチ)があります。

白口は苛性ソーダ(強アルカリ性)など化学薬品を使って漂白した、真っ白の雪色をした紙をさします。

 これに対し赤口は、化学薬品のなかった頃から伝統的に用いられてきた木灰(モクバイ)の上澄み液(弱アルカリ性)を使って漂白した、生成り色の紙をさします。

つまり、赤口とは、それまで存在しなかった白と区別するため、「黄」ではなく、「赤」で形容した語ということです。

 このように日本では五行説を受け入れつつも、こと色彩に関しては五行説で説明できるものがそう多くなく、日本古来の意味性を保存してきたといえます。

 ただ、それは日本に限ったことではありません。
というのも、色彩感覚は時代や地域において培われるものであり、その文化を反映するものであるからです。

 さて、そもそも黄色は明るく現世的な色です。天平時代に極めて愛好された色が女郎花(オミナエシ)の黄色であり、万葉時代でも山吹の花が非常に好まれたといいます。

 なお、お葬式の献花として多用される菊の異称は黄華といいますが、菊が葬式と関連づけられるのは、菊を墓参に用いるという西洋の習慣によるといいます。

 ところで、今日、お葬式などでの香典袋には白と黒の水引が使用されることが普通ですが、喪が明けた後の法事では白と白の水引や、総銀(銀と銀)の水引も使用されます。
それは白黒の水引ではふさわしくないというのが理由です。

 しかし、関西地方では忌明け後の法要で御供物料を渡すとき、その包み紙には多く白と黄の水引を使います。
これは、京都で公家は仏事にすべて黄白の水引を用いたという作法にならった慣用といいます。

 あるいは、神葬祭で、たとえば黄と白の二色旗などが葬列用具として、また黄と白の幟を用いた真榊(神事の場で祭壇の左右に立てる祭具)が用いられるように、神道祭祀を根拠にするのかもしれません。

 ちなみに、この神葬祭の最初の儀式、「枕直しの儀」では故人の死を報告した後、神棚の前にシロい和紙を下げます。
これを「神棚封じ」と呼び、仏事でいう四十九日に当たる五十日祭でこの封じを解きます。
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2011年06月11日(Sat)
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