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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅱ.紅白の章(その16)

>>未分類
アヲとシロ
 淡い藍色、浅葱は葱(ネギ)の葉色に似るところからの名称といわれますが、藍の色名には他に「葱(ネギ)」を当てた字がありません。
ネギの葉は確かに青いのですが、さほど淡い青でもありませんし、今日いうところの浅葱色よりは、どちらかというと緑色系に傾いた色相です。
 ですから、たとえるなら他にもっと適切な語があったでしょう。

 イザナギの「ギ(キ)」は古語で男性神を表すのが定説です。そして、浅葱色は紙のシロ色とともに神道的なものへ配される象徴色です。
こうしたことから浅葱は「あさ(麻)ギ」と見るのが正しいのかもしれません。

 つまり、藍で薄く染められた神聖性を帯びる麻(青ニギテ)を、そのまま色名として用いてきたのかもしれません。

 もしそうであるなら、浅葱は「あさ」+「ぎ」で麻の男性神を表すものとなります。
紙が先述のように女性神を表すことから、麻と紙、すなわち青と白がペアで扱われてきたのは、こうした理由によるものと考えることができます。

 『古事記』によれば、天つ神系を代表する色が青と白とされます。
この青が青空を意味し、白日が太陽を示す、あるいは太陽光から生まれる白色が日中(白昼)を表すように、青と白が、天から降ってきたという謂れを持つ天つ神を象徴するには妥当なものがあります。

 そして、この神道で用いる青は前項で見たように、本来が山藍を用いて染めた色であるので、青とはいえ今日でいう緑に近い色です。
これを以降は、アヲ色と呼ぶことにします。

ウラジロと風神雷神
 新年の鏡餅や注連飾り(シメカザリ)に使われるウラジロ(裏白)の葉は、その名から知れるように、表が緑色で裏は白色という、アヲとシロのコンビネーションを持ちます。
 ウラジロは古来「とも白髪」、つまり夫婦和合と長寿を象徴するものとされ、縁起物や依代として正月飾りに用いられます。

 この植物が長寿を意味するのは、その葉が常緑であるからでしょうが、夫婦和合を示すのはアヲとシロが夫婦と考えられ、それが表裏一体、すなわち陰陽和合を具体化するものとなっているところからでしょう。

 あるいは、ウラジロのアヲとシロといったスタイルと天つ神の象徴色との符合を考えあわせるとき、ウラジロは天つ神そのものを表象するものであるのかもしれません。
 そして、このコンビを天つ神とするなら、アヲ(緑)と白で描かれた風神・雷神は、国つ神(鬼)の姿で表現された天つ神であるといえます。

 アヲい風神の持物である風袋がシロで、シロい雷神の下穿きがアヲで着彩されているのも、こうした理由でしょう。
つまり、宗達は暗に両柱が天神であると示唆しようとしたのではないか。あるいは、天つ神(アヲとシロ)を纏わせることによって、風神雷神のタタリを封じ込めようと意図したのかもしれません。

 いずれ宗達は芸術的な表現とは別に、こうした明確な意図でもって緑と白の鬼を描いたのだと思います。

 また、重要文化財にも指定されている尾形光琳による風神雷神図の模写画で、宗達本と異なり雷神の襷がアヲ(緑)で描かれているところは、このあたりを強調したものと考えます。

800px-Korin_Fujin_Raijin[1]

[尾形光琳 風神雷神図]

 ただ、光琳によるものには宗達のそれと異なり、落款(サイン)が見られます。これは本図が模写画であったという理由ではないでしょう。
このサインには、礼拝用ではなく、純粋に芸術の対象として描いたという光琳の画家としての意図が汲み取れます。

 ちなみに、近世以前の屏風絵は、ほぼ例外なく季節を象徴する景物が描かれます。屏風絵作者はこの春から冬の時間的推移を、陰陽五行にしたがい、先述のように右から左へ向かって変化させます。

こうした時間的な経過が表現された屏風絵に落款を記す場合は、向かって左側へ立てるものの、しかも一番左の下に為されます。

 ところが、近世以降の屏風絵には時間的経緯が見られないものも多くあります。
このような屏風へは、落款が向かって右に立てるほうでは画面右下、左では左下に為されています。
これは主体が中央にあると仮定するものであり、中央を避けて落款が為されたものでしょう。

 光琳本になされた落款も同様にそれぞれ右下、左下にあることから、宗達本と同じく、両図の真ん中に何らかの主体を想定していたことは間違いありません。

 神道では偶像崇拝を禁じていると先述しましたが、神の姿を具象化することがタブーであったことも、風神雷神の不明さを助長してきたと考えます。

 また、天つ神系の神がみに対しては口にすることさえも憚られていたのかもしれません。
つまり、「察する」ことが必要なのであり、風神雷神図の正体が長らく謎とされるのもこうしたところに由縁するのでしょう。

 いいかえれば、当時の人たちにとって風神雷神の正体は、あえて説明せずとも自明のことであったと考えることができます。
宗達本の風神雷神図は現在でこそ国宝にまで指定された著名な作品ですが、江戸時代にはあまり知られておらず、その記録や、この屏風絵に関する文献が残されていないことも、これを裏付けています。

 ところで、日本では日本美術に対する図像学(あるいは図像解釈学)があまり発達していません。
図像学は多く民族の宗教観をその基本の手段とするものであり、日本の神がみに対する以上のような性向が、日本の図像学の発展を阻んできたのかもしれません。

青白幕
 今日の葬儀において、黒白幕以外に多用されるのが青白幕です。
これをもって青白幕は縁起が悪いとする人がいますが、青白幕は地鎮祭のときにも使われます。

 地鎮祭では麻製の注連縄(シメナワ)と紙製の四垂(シデ)で結界を構成すると述べましたが、青と白がそれぞれ麻布と紙とを意味するなら、地鎮祭で青白幕を用いることにはうなずけるものがあります。

 というのも、青白幕は高齢でなくなった方の葬儀に限り用いるとする地方もありますが、青白幕はかつて吉凶にかかわらず用いる幕とされてきたからです。
 つまり、青白幕は結界を意図するものであり、たとえば地鎮祭の場合は域内の清浄を、葬儀の際は域外の清浄を約束するものなのでしょう。

 ところで、この幕を地鎮祭に列席する機会が多い建設業界では「あさぎ幕」と呼んでいるそうです。
これは青のストライプが歌舞伎で使われる「あさぎ幕」と同じ色をしているために、こう呼ぶようになったといわれます。

 この「あさぎ」には多く「浅黄」という字が当てられますが、本来は先に記したように「浅葱」です。そして、古来、アヲとキが混同された例はありません。
アサギの「ギ」へ「黄」を当てたのは、おそらく葱という字を当てる妥当な理由が思い浮かばなかったからでしょう。

ただ、古くから栽培されてきた葱もまた、その葉身と葉鞘がアヲとシロのコンビネーションを持ちます。この様子をもって青白幕を浅葱幕と呼んだのかもしれません。

 次回は、麻について考えてみたいと思います。
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2011年06月08日(Wed)
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