FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--年--月--日(--)

『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅱ.紅白の章(その12)

>>未分類

 贈答品は箱に入れて包装することが日本人のマナーです。
たとえば手土産に菓子を持参する場合でも袋に入れただけのものでは相手先に失礼であり、必ず菓子折として箱に入れるようにするのが日本人の常識となっています。

 こうした箱に対する日本人の思い入れは特殊であり、箱はフォーマルで、箱に入っているということは高価な品であるということを日本人は無意識的に感じ取ります。
また、進物に限らず、自己使用の場合ですら日本人はしっかりとしていて、しかも高級感を醸し出すような箱を求める傾向があります。
なお、日本の過剰ともされる包装文化は、これに由縁するものでしょう。

 このような、日本人が昔から箱にこだわるところは、特に茶道関係の幾つもの書物によっても見られ、近世には西洋はおろか中国でも見られない箱書(ハコガキ)という特殊な習慣まで生み出しました。

 箱に入れることで、落下事故など物理的な衝撃に対する緩衝材としての役割はもちろんのこと、水濡れによる被害を防ぐなどの効果が期待できます。
しかも箱は短期的な温湿度の変化を調整する役割も果たします。たとえば美術館や博物館では作品の移送直後には開梱せず、充分に時間をおいてから行うことも、この効果を期してのことです。

 ところで、こうした箱に入れるといった習慣を重んじたことも、日本の気候風土に根差して生まれたものだったのかもしれません。

 湿度が高く、しかもその変化が激しいわが国にあっては、箱に収めることで中身の保存性を高めることが長い間に培われた生活の知恵と呼べるものであったでしょう。
実際、温度変化よりも湿度変化を緩和することが、美術工芸品保存の重要な課題です。
ちなみに、これはまた人の健康維持にとっても同様です。

 ですから、箱物に付ける紅白の紙と水引にも本初的には、こうした保存性を担保する意味があったのかもしれません。

 贈答品には、桐箱に入れたものもあります。桐は軽くて比重が小さいにもかかわらず、適度な強度があり割れや狂いが少ない材です。
また、比重が小さいがゆえに吸湿作用も抜群です。
桐のもう一つの特長は、たとえば高級な金庫の内張にも使用されるように、極めて熱を伝えにくい材であることです。

 桐箱はこうした特長により、あらゆる箱の中で乾燥や湿気に弱い物品を保存するのに最も向いています。

 また、箱に桐材を多用するのは、桐が適当に柔らかく、中に入れたものが箱とぶつかっても傷むことが少ないという理由もあります。
そこで、陶磁器の保管にも桐箱が用いられます。

 ただ、掛軸などの財物を桐箱に入れたのは、わが国にあって特殊な理由もありました。それは日本家屋の使用部材に木や紙が多用された都合上、火災が多かったことです。
 特に印籠箱(インロウバコ)、すなわち蓋が密着するようにつくられた桐箱は、かつて火災の際には井戸へ放り込んだそうです。

 このとき比重の小さい桐は水を吸ってすぐさま膨張します。すると、桐箱は蓋をしっかりと閉じてしまい、中へ水が侵入しないようになります。
これを火事の後に取り出し、財物の保全を図ったというのが日本で桐箱の普及した理由です。

 もちろん桐の箪笥も同様であり、箪笥の場合は井戸に入れることができないので、火事の際には箪笥へ水を掛け廻します。
ですから、婚礼の調度に桐の箪笥が喜ばれるのはこうした理由です。
そして、陶磁器もまた、火災における火力によって変色・変質することから同様です。

 ちなみに、地方によっては女の子が生まれたらすぐに桐を育て、お嫁入りの際にこの桐で箪笥をこしらえたそうです。
桐はその比重が小さいことからもわかるように、すくすくと大きくなります。桐を植えて箪笥としたのは、こうした桐の成長性に娘の健やかな生育を願った親心もあったでしょう。

 ところで、火災被害が甚大になるにもかかわらず日本家屋へ木や紙が多用されたのは、これらの自然素材がソフトな環境緩衝材として働くことを日本人は知っていたからです。
つまり、これらが湿度の高いときには湿気を吸収し、逆に低いときには水分を放出する機能を備えているからです。

 なお、表具でも屏風や襖などの下地へは和紙を幾層にも重ねて下貼を施します。
このような下地構造は、乾湿の変化に対し上貼が伸縮することによって生じるストレスを緩和させる目的で行うものですが、同時に水分を吸収・放出することによって湿度調節作用をも担っています。

 こうした経験知が日本人の自然を克服しようとするのでなく、自然と共生するといった志向を育んだ理由の一つと考えます。

紅白幕と鯨幕
 紅白は保存性を担保するものと述べました。それでは慶事に用いる紅白幕は何を畏れての、あるいは何の保存性を担保するものなのでしょう。

 赤飯と同様、古式に則った行事には登場しないように、実は紅白幕を慶事に用いる歴史は浅く、そもそもこの役目を担ってきたのは、鯨幕(クジラマク)と呼ばれる黒白幕です。
これは、皇室で現在でも慶事に鯨幕を使用されることからもわかります。

 逆に、今日でも地方によっては紅白幕を弔事に使っているところがあります。

 ところで、黒が喪を表すのは、明治の30年代になってからのことです。この頃、皇室の葬儀の折に欧化政策の影響で欧米の喪色である黒が喪の色とされ、大正期以降に黒の喪服が普及したそうです。
また、弔問者までが黒の喪服を着用するようになったのは1960年代以降とされます。

 しかし、それまで近親者が葬祭儀礼に用いる服は白装束(シロショウゾク)が普通でした。また、ご遺体に着せる死装束(シニショウゾク)も経帷子(キョウカタビラ)を除き、基本的に同じです。

 なお、黒不浄(死穢)は触れることによって生じます。ということは、白が赤とは逆に外敵からの備えを果たす、つまり紅白は内外の守護ということを意味しています。
包装に用いる紅白紙の赤を下にして白が上から被せられるのは、こうした理由によるものかもしれません。

お色直し
 裁判官が「いかなる色にも染まらない」といった理由で黒衣を着用するのとは逆に、花嫁が結婚式で白の衣裳を着るのは、現在では「いかなる色にも染まります」からと説明されます。

 そこで日本の花嫁は白打掛(シロウチカケ)を着装します。そして、今日の結婚披露宴では「お色直し」といい、途中で色打掛に着替えることが普通です。

 打掛は確かに式服ですが、幸せ一杯のはずの花嫁がなぜ死装束とされた白い衣裳を着るのでしょう。

 「お色直し」とは、そもそも「白を直す」という意味であり、白以外の衣裳に着替えることをいいました。
つまり、遺族は、亡くなられた方が荼毘に付される、あるいは埋葬されるまで着用していた白装束を、葬儀の後は服喪のための色つきの衣服に着替えます。
このとき「白装束」といった死にまつわる忌み言葉を避け、「色を直す」と言い換えたのが「お色直し」の本義です。

 結婚披露宴でのお色直しは、これを踏まえた上でのしきたりとされます。
すなわち、花嫁が死装束であった白を着るのは、生家を出るときひとたび死に、それから嫁ぎ先の家で色直しの赤い衣裳を着ることによって再び生き返るとされた習俗から起こったものです。
この再生の思想は先述のように神道での重要な教義の一つです。

 ただ、すると疑問が一つ湧き起こります。白はともかく、この場合には赤が「生」をも意味すると考えることができるのでしょうか。
確かに赤は五行説にいう陽の配当色であることから、こうした意味があるやもしれません。

 さらに日本では、墓石へ名前を刻むとき、死亡した者の名前へ青色、存命のそれには赤色の彩色がなされます。
これは日本独特の風習とされ、俗に「生きている者の血液は赤いことから赤で着彩し、死ねば青くなるから青で色を付けるのだ」と説明されます。
これも赤が生、青が死といった意味づけの元になされる習俗なのでしょうか。

 しかし、以上に見てきたような赤の意味を考えるとき、異なった解釈もできます。
すなわち、墓石の場合は生者の名を刻んだことが現実に死と繋がらないよう防ぐため。
そして、お色直しの場合は、他家から新たに入り込む嫁が当家に厄をもたらすことがないようにと願う舅・姑の心が、嫁にまず白を、そして後に赤を着させた理由の一つであったのかもしれません。

 ちなみに、同じ花嫁衣裳でも白いウェディングドレスには異なった意味があります。
それは西洋のイコノグラフィー(図像学)において白百合が聖母マリアの純潔を表すことから、白いウェディングドレスは花嫁の「純潔」を示します。
また、同じく赤は聖母マリアが着衣とするように西洋では「愛」を表します。

 このあたりの習慣が日本に取り込まれ、やがてこうした習俗の本来の意味が曖昧になってきたのかもしれません。

 さて、それでは喪を表すことのなかった黒は、かつてどんな意味を有していたのでしょう。そこで、つぎには黒について考えてみます。
スポンサーサイト
2011年06月04日(Sat)
SEO TOTAL SEARCH
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。