FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--年--月--日(--)

『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅱ.紅白の章(その9)

>>未分類
恵比寿天と大黒天の表具
 菅公と同じような表具を行うものに恵比寿天と大黒天がありました。

 ただ、これは恵比寿天、大黒天が単体で、しかも厳格な風に、あるいは忿怒形で表現された場合に限りますが、いずれにせよ福神である恵比寿さんと大黒さんになぜ怨霊神へ用いる表具を、と不思議にお思いになる方があるやもしれません。

 恵比寿天は夷神(エビスガミ)と蛭子神(ヒルコノカミ)が習合したものといわれます。蛭子神とは日本神話に語られるイザナギ、イザナミが初めて生んだ神であり、骨のない奇形児であったため葦(アシ)の葉の舟に乗せられ流されたといいます。
そして、この蛭子は今日、「えびす」とも読みます。また、「えびす」は戎や胡とも書きます。

 これらは用字から捉えると、いずれも蔑称です。夷、戎、胡は中国漢民族が差別の対象とした異民族を表す語であり、「えびす」という読みも、かつて大和朝廷の仇敵であった蝦夷(エミシ)の訛ったものといわれます。

 ちなみに、かつて大和朝廷が執拗に蝦夷を排撃したのも、蝦夷と呼ばれた人たちが、大和朝廷にとって鬼門の方角に住まいしていたことも関係しているでしょう。

 そして、蛭子というのも、不吉なものを連想させる命名です。ヒルは多く動物の生き血を吸う生物です。つまり、赤不浄を伴う不浄な生き物です。
骨がないのであるなら、ナメクジやナマコでもよかったのではないでしょうか。また、言霊信仰からしても、わざわざアシの葉に乗せて流したというのも象徴的です。

 このアシは、スルメをアタリメと呼ぶ人があるように、「悪し」では具合が良くないというので、ヨシと読み替えられることも多くあります。

 「恵比寿」の歴史的仮名遣いは「えびす」とされ、「恵(ゑ)」の字は仮名遣いを無視した当て字といわれますが、「恵」を当て、「恵比寿」と嘉語で吉祥的に表記したのは、おそらく「ヱビス」を七福神信仰が盛んとなる室町時代以降の、福神に昇格させてからのことでしょう。
恵比寿天は今日、多く商家の福の神として祀られます。

 さらに「恵比寿」の「寿」は「いのちなが(し)」と訓ずるように長寿を意味します。そして、「ことほ(ぐ)」とも訓みます。
「ことほぐ」は「言祝ぐ」とも書くように、喜びごとや祝いごとの際に詞(コトバ)で祝福するといった意味であり、こうした祝詞もまた言霊思想の延長にあるものです。
つまり、縁起の良い言葉を発すれば、良いことが実現するということです。

 ちなみに、「寿」は、たとえば結納飾りのスルメを「寿留女」、また末広(扇)を「寿恵広」と書き換えたりするときにも用いられます。

 また、「恵比寿」は「恵比須」とも書かれます。この「須」は本来「ヒゲ」の意であり、恵比寿さんがヒゲをたくわえた姿で描かれるのもこうした理由です。
ヒゲが一般に長寿を寓意するように、「須」もまた嘉語です。そして、このとき「比」は「美」とも記されることがあります。

 このようにヱビスの表記はおめでたい語で彩られています。それは逆に、エビスがもともと縁起の良くない存在であったからでしょう。

 一方、大黒天は、そもそもインドで仏教を守護する戦闘神とされていましたが、中国では厨房の神様となり寺で祀られるようになります。

こうした理由で日本でも寺院の庫裏(厨房)で忿怒形の神王像として祀られることが多く、ちなみにこれを司るというので僧侶のご内儀のことを大黒様と呼ぶことがあります(おそらく忿怒形であるからという理由ではないでしょう)。

 そして、大黒と大国といった音の共通性から、やがて大国主命(オオクニヌシノミコト)と習合し、当初は破壊と豊穣の神として信仰されたといいます(以下、オオクニヌシ)。

 ところで、日本神話で国譲りに同意し、美保関の海中に潜ってしまったオオクニヌシの息子、事代主命(コトシロヌシノミコト)も室町時代末から江戸時代の初め頃、ヱビス神として信仰されるようになります(以下、コトシロヌシ)。

 こうして親子関係にある、コトシロヌシを祀る美保神社とオオクニヌシを祀る出雲大社は「出雲のヱビス・ダイコク」と並び称されるようになりました。

 さて、恵比寿天、大黒天に菅公と同じような御霊神用の表具を行うのは、いずれも国つ神と習合したからという理由があるのかもしれません。
また、恵比寿天・大黒天に共通するのは二面性を持つところです。

 国つ神とは天孫(天つ神系)降臨以前から日本の国土、あるいはその一部を治めていたとされる土着の神のことです。
すなわち、この国つ神は蝦夷や出雲族といった被征服民族の代表であることから一種の怨霊神です。

 もちろん今日、恵比寿さんと大黒さんは福神としてコンビで表現されることが多いことから、掛軸では官公の表具で用いるような仕様を採用しません。
しかも怨霊神を畏れる意識が現代において希薄になったのか、こうした特殊な表具スタイル自体も廃れてしまいました。

 これに対し、天つ神系には、御霊神に用いるような赤地の織物で作品を取り巻くスタイルでの軸装は行いません。

 また、そもそも天つ神系の神像は絵画化されることがほとんどありません。それは神道が偶像崇拝を禁じていると考えられているからであり、神社においても礼拝の対象となる、仏教でいうところのご本尊は建物内にはありません。
こうした点も、天つ神と国つ神の大きく異なる点です。

 さらに、伊勢神宮や八坂神社、上賀茂神社などでは式年遷宮祭という定期的な新殿の造営を行います。

式年遷宮は神道の再生思想を表しているとされますが、これも神社といった建造物自体が礼拝の対象とならないよう配慮して生まれた制度であるという説もあります。
あるいは、神社という建造物をケガレの吸着装置とみなしていたからという理由もあるかもしれません。

 ちなみに、神道が偶像崇拝を禁止していたことから、日本人は基本的に多神教である仏教を比較的スムースに受け容れた、すなわち仏像を仮借して神影の代わりに拝んだとする説もあります。
仏画を赤地の織物で取り巻くように表具することがあるのも、これを裏付けます。

 ところで、天つ神系の神は天神とも呼ばれますが、天神信仰は菅公を天満大自在天神(ソラミツダイジザイテンジン)として崇める御霊信仰をさします。
 ただ、菅公はあくまで天満宮に祀られた怨霊神であり、本来が天つ神ではありません。

 なお、この天満宮の社殿が、通常は朱塗りであるといった事実もまた、アカの都合のよくない変化を防ぐ機能を信じてきた証と考えることができます。

 いずれにせよ、菅公が後に天神という神格の高いものとして祀られたのは、そのパワーがあまりに強大なものとされてきたからでしょう。
スポンサーサイト
2011年06月01日(Wed)
SEO TOTAL SEARCH
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。