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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅱ.紅白の章(その7)

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タタリ
 日本の神は祀る人の願いを叶えると同時に、タタリといった人びとを畏怖させる二面性を有しているといわれます。
これは繁栄と災厄をもたらす自然を神とみなしてきたことの延長にある考え方だとされます。

そして、こうした二面性をそれぞれ和魂(にぎみたま)、荒魂(あらみたま)と呼ぶことがあり、特に後者のタタリを為す神を「荒ぶる神」とも呼んで畏れてきました。

 なお、日本民俗学のパイオニア、柳田国男はタタリという言葉がそもそも「神の示現」という意味に過ぎないとしています。
つまり、タタリ自体が二面性を持ち、これへの対応如何でプラスにもマイナスにも働くものとしていますが、タタリは今日、神仏や怨霊によって被る災厄をさすことが普通です。

 朱塗りが施された鳥居があるのも、赤のこれまで述べてきたような効用を期し、荒ぶる神への対策としたのかもしれません。
先述した神社の守護神、獅子・狛犬が神社内部に向けられて設置されている場合もあります。

中国でのアカ
 日本ではアカが以上ような性格を持つと考えられるのですが、中国では五行説でいう「陽中の陽」である「火」の相当色であるように、アカはめでたいものとされてきたようです。
こうしたものに、たとえば朱竹図があります。

 朱竹図は朱墨でもって竹を描いたもので、北宋代の詩人、蘇東坡(ソトウバ)に始まるといわれます。
朱竹図は蘇東坡があるとき墨を切らし、ありあわせの朱で描いた竹図を人に与えたところ、子供のなかった夫婦に男子が授かり事業が成功して大富豪になったという道教的な故事から、幸運を招くもの、暗示するものとして古くから喜ばれてきたものです。

 また、中国の二大儀礼とされる「紅白喜事」の「紅喜事」は婚礼を意味しています。そして、「白喜事」は特に天寿を全うされた方の葬儀をさし、このとき盛大な葬礼が執り行われ、葬儀の案内状や棺も赤で彩る場合があるそうです。
ですから、中国では赤が祝福を示すものだと考えていいでしょう。

 日本でも、高齢者が亡くなられた場合に長寿を祝賀する意味で、長寿箸などを配る風習があり、地方によっては葬儀の席で赤飯を振る舞うところもあります。

 なお、アカを表すのに現代中国語では「赤」よりも「紅」が多く用いられるそうです。そして、中国語の「赤」は今日、色彩を形容する語としては比較的限られた使い方しか持たないといいます。

 さて、日本では赤で書いた手紙が絶交を表すとされてきたように、アカをあまり良い意味で使うことは少ないようです。
能楽や歌舞伎でいう赤頭(アカガシラ)も妖怪や悪鬼を意味することがあります。

 また、六曜のうち赤口(シャック、シャッコウ)が陰陽道で万事に不吉な日とされるのも、赤に縁起の良くない意を感じてきたからでしょう。
 ちなみに、六曜とは暦注の一つで、これに吉凶やその日の運勢など、さまざまな解釈が与えられてきたものですが、大安や仏滅を気にするといった今日の日本においても未だ影響力が強い迷信です。

 以上のように、かつて日本でのアカは中国ほどのプラスイメージを持っていたとは考えにくいものがあります。

赤飯
 赤飯は今日、慶事で頂く食物とされますが、以前は意外なことに凶事の席で食されてきました。
凶事に赤飯を食べるこの風習は現在も各地で見られます。文化庁の全国調査よると、葬式で赤飯を用いるところは東北地方から南西諸島に点在しています。
これは昔から広範囲にわたって凶事に赤飯が使われていたことを示しています。

 江戸時代の随筆家、喜多村筠庭(キタムラキンテイ)による『萩原随筆』には、「京都にては吉事に白強飯を用ひ凶事に赤飯を用ふること民間の習慣なり」とありますが、慶事に赤飯をつくる慣わしが民間に定着したのは江戸時代後期以降といわれます。

 ところで、今日の日本では絶滅宣言がなされていますが、かつて天然痘は定期的な大流行を起こすことで知られる感染症でした。死亡率が高く、また治癒しても痘痕(アバタ=瘢痕)を残すことで恐れられてきた病気です。
以前はこの天然痘のことを疱瘡(ホウソウ)と呼んでいました。

 江戸時代の人は、「疱瘡神」に取り憑かれることにとって疱瘡を病むと信じていました。
この疱瘡神は、たとえば朱で描いた鍾馗図(ショウキズ)を「疱瘡神除け」の御守りとした地域もあるように、赤色を苦手とする、という伝承があります。

 そこで、疱瘡に罹患したものは赤飯を食べ、疱瘡神を体から追い出そうとしました。そして、このとき幸いにして平癒した者は、厄払いに赤飯をもう一度食したといいます。

 やがて江戸末期に種痘で疱瘡を予防することが可能になると、平癒後に赤飯を食べるという慣習だけが残ったそうです。
つまり、赤飯が快気祝いに用いられるようになり、これが慶事に赤飯を食するという習慣に繋がったといいます。

 以上のように、赤飯が凶事に用いられたということは、やはり赤をケガレ抑え、あるいは厄払いの手段とみなしていたからといえるでしょう。
そして、予防のために赤飯を食べたのではなく、あくまで治療のために赤飯を利用したということから、赤は外敵に対してではなく、内敵に抗する手段であったことがわかります。

 ちなみに、疱瘡神を祀るといった習俗もありました。これは、次節に述べる御霊信仰に一脈通じるものがあります。
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2011年05月30日(Mon)
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