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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅱ.紅白の章(その5)

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Ⅱ-② 赤の意味

 ここでの赤は今日いうところのレッドではありません。
かつて日本では青に対する色として、伝統色名でいうところの赤色、朱色、丹色(ニイロ)などといった赤系の色をすべてアカと呼んできました。

 そこで最初に赤と朱、および丹について整理しておきます。

赤色とはどんな色?
 『大字典』によると、赤はアカキ色の中位のものをさし、朱もまた同じとあります。

ただ、朱は後世になり朱砂(スサ=辰砂)の中でも「あかいもの」を朱と呼ぶようになったということです。
今でこそ朱はバーミリオンをさしますが、朱という色名がこの色に当てられたのは意外に新しく昭和初期のことです。

 なお、辰砂(シンシャ)とは中国辰州(現在の湖南省近辺)産の砂のことで、赤系顔料の原料として用いられてきたものです。

 丹はそもそも丹砂(タンシャ)の色とされます。丹砂は辰砂と同じものですが、なかでも朱に白色を帯びたものが丹とされます。
ただ、今日での丹色は朱色より茶系を帯びたものをさすことが多いようです。

 ところで、以上の赤色は顔料系のものであり、他に染料系の紅(べに、くれない)があります。そして、染色における赤は紅花(ベニバナ)で染めたものが本義とされます。

 ちなみに、顔料や染料は彩色に必要な着色材をいいます。顔料は主に鉱物を元につくる粒子の粗いもので、染料は植物を主原料とする粒子のごく細かいものをさします。

 明治時代になり西欧から安価な合成染料がわが国へもたらされるまで、紅花は対価として金と同重量、あるいはそれ以上で取引されたという記録があります。

 たとえばこの紅花染の一つ、一斤染(イッコンゾメ)も紅花が高価であるがゆえに生まれた染色法です。江戸時代、奢侈禁止令により深紅が禁じられていた一般庶民は、1匹(2反)の絹布を染めるのに1斤(600g)の紅花しか使用が許されなかったといいます。ですから、一斤染は上代からのものですが、江戸時代でのピンク色は庶民の色とされてきました。

 なお、紅花による染色は紅色であるにもかかわらず、古くは呉藍(クレナイ)や唐藍(カラアイ)といいました。これは藍という語がかつて染料の総称的な意味で用いられ、紅花染料がそもそも中国からの輸入品であったからです。

 さて、日本で赤は「あか(明)」と同語源とされ、以上のような赤系の明るい色をすべてアカと呼んできました。
ですから、本章でいうところの赤はアカるい赤系色の総称とします。

五色と正色
 五行で説く五色(ゴシキ)を儒教社会では正色(セイショク)と定めました。正色は聖人君子が使用する色としてきましたが、厳密にいえば五行説での五色と正色とは異なります。
 いずれも青・赤・黄・白・黒の配当こそ変わりませんが、五行説の五色は多分にファジーで、たとえば朱夏というように赤系の色であればおおむね「火(カ)」の配当色としたところです。

 ちなみに、「赤」という字は、もともとこの五行説から生まれた漢字であり、「大」と「火」の合字とされます。

 これに対し、正色では純色(彩度のいちばん高い鮮やかな色)を基準としています。ですから、儒教で赤の正色とされるのはレッドの赤のみです。

 日本ではこうした赤色に対してもシロ色と同じように抗腐敗作用を期待してきたのでは、と考えています。

 民俗学や考古学を専攻される多くの方は、赤には呪術的な理由から魔を除する機能を持っているとしています。
この赤が魔除けとされるのは外敵、すなわち多くは野獣を追いやる炎からの連想といわれます。

施朱
 古墳などでは朱が被葬者の周りに撒かれていることが多くあります。
これは「施朱(セシュ)」といい、すでに『古事記』にその記述が見られ、ちなみに江戸時代に至っても下町の墓地にまで施されるほど続いた一般的な慣わしとなっていたものです。

 なお、飛鳥時代の古墳に用いられた夾紵棺(キョウチョカン)と呼ばれる貴人用の棺は、外側は黒漆塗りですが、内側は朱塗りです。これもまた施朱の一変形といえるかもしれません。

 ところで、土葬がほとんど見られなくなった今日ですが、この施朱といった習俗も魔除けといった理由でなされたものだったのでしょうか。

 話は変わりますが、日本人は死体を異常に恐れます。死体は次第に腐乱し、すなわちケガレたものになります。
日本人は、先述のように死体のこうした腐ってゆくところへ怖れを抱いたに違いありません。

 あるいは、かつて防疫が未熟な時代、特に伝染病で亡くなった方からの感染ということも実際あったでしょう。
そして、そもそもケガレとは伝染すると考えられてきたものです。

ですから、清め塩の風習には現実的な必要があったと考えます。今日の日本での火葬率が99%であるのは、これが理由の一つなのでしょう。

 ところで、死体を恐れる理由に、陰陽論を基にする儒教の死生観を援用して説明されるものがあります。

 古来、日本の考えでは、死は肉体の消滅であってタマシイの消滅ではありませんでした。こうしたタマシイを不滅とする考え方は東アジアに共通するものといわれます。
 そこへ、タマシイに魂魄(コンパク)があり、人が死んだときにはこれが分化し「魂(陽の精気)」は天に上り、「魄(陰の精気)」は地に留まるという思想が古くに中国から至ります。
日本はこの考え方に強い影響を受けました。

 ただ、ここから先が儒教と異なる点ですが、死体が腐敗によって生ずる「魄(陰の精気=死霊)」は人に取り憑き厄をもたらすと考えてきました。
これが、日本人の死体を恐れるようになった理由の一つです。

位牌
 これもまた儒教とやや違うところが、逆に「魂(陽の精気)」は位牌(イハイ)を依代(ヨリシロ=神霊が寄りつくもの)として、子孫の守り神になると日本人は考えてきました。
これは、たとえば仏壇から位牌を移動させるとき、宗派によっては僧侶がオショウネを抜く作業を行うことからも窺えます。

 今日ではさすがに少なくなりましたが、以前は火事で位牌を取りに戻り焼死する人が多かったことも、位牌をいかに大切なものと考えていたかがわかります。

 この「位牌」という語こそ中国渡りのものですが、位牌を重んずる考え方は儒教を信奉する先祖祭祀の本家本元である中国や韓国にもなく、本来の仏教にすらありません。
ですから、これは日本独自の信仰のあり方といわれています。
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2011年05月28日(Sat)
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