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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅱ.紅白の章(その4)

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シロい塩
 シロ色をしたものには塩もあります。岩塩がほとんどない日本では天日を利用して製してきた塩もまた、今日化学的に製される純白の雪色ではなく、かつては素色であり、そしてケガレに抗する大きな力を持つとされてきたものです。

 この塩には、乾物づくりに利用してきたように、防腐作用があります。そして、殺菌作用があることから消臭効果も備えています。
 こうした理由で、塩が清め塩に用いられたのだと考えます。

清め塩
 ここでいう清め塩とは、通夜や葬儀の会葬後、玄関口で塩を撒く習俗をいいます。これは中世に始まり、流布したものといわれ、振り塩などともいいます。

 『古事記』にはイザナギが黄泉(冥土)から戻り、そのケガレをハラうために海の水で身を清めたと書かれています。
塩を自身に掛けるようにして撒くのは、この海水の代わりに用いるものともいわれます。

 こうした清め塩といった習俗は、かつてご遺体の腐敗防止のために使われた塩が発展的に解釈されたものでしょうが、ご遺体の防腐処理技術が進んだ今日では必要のないものかもしれません。

 その昔、貴い人をその墳墓ができあがるまで仮に納めておく風習を殯(モガリ)といいました。中世ではこれが慣習化して50日間の殯を行ったそうです。この殯のときには死臭が衣に染み付くといったこともあったでしょう。
通夜や葬儀の際にお香を焚くのも、この死臭をごまかすものであったという人もいます。

 こうした衣に染み付いた匂いは、水で洗うことをハライと呼んできたように、たとえば洗濯して天日で乾燥させることによってハラうことができます。

 「水に流す」といった慣用句も水にハライ機能を持たせてきたところに根差しているといわれます。
ご遺体を納棺の前に湯で洗い清める湯灌(ユカン)といった習俗も、こうしたハライ思想によるものでしょう。

 さて、以上の理由により、以前は葬儀に清め塩が必須のものであったのではないか。
つまり、昔はおそらく塩とご遺体がワンセットのものであり、これが発展して塩が象徴するシロい色もケガレをもハラう一種の呪具とみなすようになったと考えることができるでしょう。

 また、大相撲では取組みの前に、力士が土俵上で塩を撒きます。この塩も、清め塩と呼ばれます。
相撲はかつて、どちらの力士が勝つかによって豊穣や豊漁を占う神事でした。こうした側面から、神聖な場所を浄めるために、土俵へ清めの塩を撒く儀礼が生まれたといわれています。
これには、もちろん力士同士の激しいぶつかり合いによる流血を浄めるという理由もあったでしょう。

 しかも清めの塩は新たな取組みの前ごとにまかれます。
このように土俵はつねに神聖な状態を維持することが条件とされ、たとえば清めの塩以外にも土俵の清浄を期するものが大相撲の方屋根に吊り下げる四房(シブサ)といわれます。

 その理由は四房に限らず、房が大幣(オオヌサ)を連想させるものであったからか、あるいは埃を払うハタキからの発想か、房には古来、邪気をハラう機能があると信じられてきたからです。
 つまり、房のフサフサと揺れ動く動作が、ハライに通じると見たのでしょう。

たとえば座布団の四方に付けられる房も、中の詰め物(ワタ)のずれを予防する目的の他に、浄化された座を保つ結界としての意味があると考えられてきました。

盛り塩
 飲食店などの店先には塩を盛ってあることがあります。こうした、掃き清めた門口に塩を円錐形にして小さく盛ることを盛り塩、あるいは口塩(クチジオ)などと呼びます。
これは料理屋ばかりでなく寄席にも見られる、また古く花柳界では必ず盛り塩をしたといわれる習俗です。

 この盛り塩は、そもそも中国の故事に由来する縁起物とされてきた慣わしです。かつて西晋の初代皇帝、司馬炎は女色を好み、多くの後宮を囲ったそうです。
そして、広大な後宮を羊にひかせた車に乗って巡り、まるでルーレットのように、この羊車が気まぐれに止まったところの閨房にいる官女と同衾したといいます。盛り塩は、この皇帝の寵愛を一身に、と望んだ美妃が案じたものに端を発するとされます。

 この美女がめぐらした一計とは、羊車がとまるようにと、自分の閨房の前に竹の葉を挿し、塩を盛っておいたというものです。
つまり、羊が竹の葉を食べ、塩をなめるために止まるからです。これが元となり盛り塩は客を招く、福を招くと考えられ、日本で定着したといわれています。

 今日、盛り塩の習慣を見受けることは少なくなりましたが、盛り塩を清め塩と呼ぶことがあるように、飲食店ではこれもやはり縁起物としてだけでなく、「食あたりが起きないように」といった祈りの思いを込めたものでもあったのでしょう。

 ところで、自宅において他人の言動から不愉快な思いに至ったとき、その客が退去した後に「塩を撒いとけ」と怒鳴る場合があります。
このとき撒く塩は自宅内ではなく、家の、それも入口から外へ向かって塩を撒き散らすようにします。

つまり、この場合、シロい塩には清めのためというよりも、不快なものを入り込ませないといった機能を持つと考えることができます。

 ですから、飲食店での盛り塩には不快な、あるいは不浄のものを入店させないまじないの手段でもあったのでしょう。
また、会葬後の清め塩にも、自宅内に入る前に行うことから、同じ機能を期待したものでもあったと考えます。

手塩
 昔、食膳に添え、適宜に用いた塩を手塩(テシオ)といいました。これも元は、食膳の不浄をハラうため小皿に塩を盛ったことからといわれます。

 ちなみに、このときの小さくて底の浅い皿を手塩皿といいます。
これを御手塩(オテシオ)ともいい、またこれが訛り、今は漬物用や醤油用としてよく使われるこの小皿を「おてしょう」と呼ぶこともあります。

 ところで、「手塩にかけて育てた娘」という表現があります。
手塩には、自分の好みに合わせて料理の塩加減を調節するという使い方もあったことから、他人任せにしない、しかも愛情を込めて自ら世話をすることを「手塩にかける」というようになった慣用句です。

 しかし、「手塩にかける」という言葉には、本来の「不浄のものではない」といったニュアンスもあるようです。
 あるいは、「手塩にかけた息子」という表現が一般的でないのも、手塩にかけて浄化するのは、赤不浄を伴う女の子に限ったことなのかもしれません。

地鎮祭
 地鎮祭にも塩が使われます。地鎮祭では普通、土地の中央に斎竹(イミダケ=忌竹)という葉付きの青竹を四方に立て、これに注連縄(シメナワ)を張りめぐらせます。
そして、注連縄にはシロい紙でこしらえる四手(シデ=紙垂)が垂らされます。

 この地鎮祭を略式で行う場合には、四隅に盛り塩をして行います。斎竹と注連縄に囲まれた空間が結界と呼ばれることから、塩はこれの代役を果たしていることになります。

 すなわち、塩は結界を構成するものといえるのですが、これはおそらく塩の浄化力だけでなく、そのシロい色にも結界の機能が期待されたのではないかと考えます。

 それは古来、障子や白貼襖(シラハリブスマ)、つまりシロ無地の紙が貼られた襖に囲まれた部屋というのは魔を入れない結界装置とみなされてきたことからもわかります。
日本人が障子を好むのは、このあたりにもその根拠があるようです。

 なお、障子の張替においても水を障子全体へ掛けて洗うことが好まれるのは、現実には障子そのものを傷めることが多いのですが、これもミソギハライ思想の影響かもしれません。

 また、以前は新しい下着や食器などをおろすときは元旦に行ってきました。そして、歳の暮に障子や襖のはり替えを行い正月を迎える準備をしました。
こうした習慣は、先述のように年が明けることによって古いもの、すなわちケガレたものが消滅し、新たなものが再生するという思想が働いているといえそうです。

 ところで、炊事や洗濯に利用される家電製品は白物家電と総称されることがあります。
これは、これらの家電へ日本で主に白色が用いられたことからの名称ですが、これも日本人が白に衛生的なイメージを抱いていたことからのデザインに相違ありません。
 ちなみに、海外では白物家電へ白色を配することは少ないそうです。

 さて、これまで申し上げてきたことから「シロ」は日の光から生まれ、防腐作用と浄化力がある、つまり衛生観と強く結びついていると同時に、その結果としての清浄を表し、さらには結界を象徴するもの、と日本人は考えてきたことがおわかりいただけると思います。

 次節では赤について考えてみましょう。
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2011年05月27日(Fri)
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