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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅱ.紅白の章(その3)

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世界に類を見ない自分専用の食器
 このようなケガレとミソギハライといった思想は、日本の環境風土に根差して生まれたものと考えます。

 世界にほとんど類を見ない日本人の特異な習慣に、個人専用の箸や食器を備えることがあります。
これを例として考えてみると、ケガレは、たとえば人に自分専用の箸や食器が使われたときに感じます。
逆に、それが近しい人のものであっても、自分が使うには抵抗を覚えます。

 これは高温多湿なわが国では一度口をつけ唾液がついたところは、雑菌が瞬く間に繁殖することを想像したのでしょう。
もちろん微生物が悪さをするといった考え方は19世紀までありませんが、ケガレとはこれを本能的に汚いものと考えた延長にあるものだと思います。

 そして、これを丹念に何度も水で洗うことによって汚さ(汚れ)が緩和されるとも考えてきました。

水で洗うことをミソギハライの手段とするのは、こうした理由も大きいものがあると考えます。
これは水が豊富、かつ清潔といった世界でも稀有な美水を保有してきた日本ならではの発想です。

 しかし、西洋食器を使うときには、こうしたケガレを感じないのはなぜでしょう。
それは一つに洋食器が皆どれも同じつくりであり区別がつかないからという理由もあるのでしょうが、日本の食器は手で口元まで運ぶから、つまり口に直接するからともいえます。

 余談になりますが、食器を持って食事をする民族は世界的にも珍しいといいます。
また、箸だけを使って食事を摂る民族も、箸文化圏の国ぐにの中でさえ日本以外には見られないといいます。

 ところで、今日では人が口にしたものを自分が口にすることに何の抵抗もおぼえない人が増えました。特に若い方では、こうした前代の呪縛のような意識が希薄です。

 それはケガレをハラうことに熱心であったがゆえに、今日の日本が、これまでに例を見ない、あるいは世界的にも類のない清潔な国を実現させたからだと考えます。

 ちなみに、日本人は箸の取扱いに多くのタブーを設け、これを「嫌い箸」と呼んできました。これにはケガレるという理由で禁じ手とされるものが多くあります。
たとえば鍋料理では取箸(トリバシ)を用いるのが常識とされるように、直箸(ジカバシ)もマナー違反です。

 ただ、逆に「直箸で一つの鍋をつつく」という行為には、これまで以上に人間関係を深める効果があると日本人なら考えます。

シロい紙
 先述のように日本の気候は本当に高温多湿でモノが腐りやすい、そして腐ったモノを口にすると当然健康が損なわれます。
また、こうした環境は、腐敗菌など細菌ばかりでなく、カビや害虫の生育にとっても極めて都合の良い状況です。

 これらに対処するため日本人は古来、さまざまな手段を講じてきました。
それは水で洗うばかりでなく、干物づくりのように日光に当てるといったこともその一つです。

 紙漉きではシロい紙料(紙の原料)を得るため、先述の水晒しを採用します。
サイエンスの知識がなかった頃の人びとにとって、水晒しの漂白力は神の恵み以外の何物でもなかったことでしょう。

 また、シロい紙料を得た後は、これで紙を漉き、最終的に板へ張り付け、天日干しにすることによって紙づくりを完了します。

 こうした理由で水の恵み、日光の恵みを備えた、シロ色(素色)の和紙は、ケガレのない清浄を表すものと考えてきたのでしょう。

 紙は神と音通することから神を象徴するといいます。そして、カミは古語でいえば女性を表す「ミ」に、神聖を表す接頭語「カ」を冠したものといわれます。

 ところで、室町時代には、紙の贈答が盛んに行われたそうです。
それは、現在においてこそ洋紙の存在もあって手漉きの和紙は相対的に安価ですが、当時は紙の供給が乏しく、それに反して需要が大きかったため紙は極めて大切にされたからです。

 たとえば室町時代に盛んだった、旧暦八月一日の「八朔(ハッサク)のたのみ」という贈答の習慣においては、紙が最も多く用いられたそうです。
こうした紙を進物とした慣わしは、現在でも結納飾りで見られる、紙10帖を水引で結んだ形の引出物として残っています。
 ですから、シロい紙への憧れは、その貴重性にも理由があったのでしょう。

 話は少し変わりますが、日本人は死体を異常に恐れます。それは、おそらく腐敗に対する恐れが原因で、死体が放つひどい腐敗臭を嫌ったからだと考えます。
もちろん死体が腐るのは日本に限ったことではありませんが、日本の高温多湿な環境はこうした腐敗を一層助長ものするものだったことでしょう。
これが死を忌む思想に繋がったのだと思います。

 物の腐敗することが多かった日本では腐敗を、たとえば腐った食物を口にすると中毒を起こすといった、健康が害されるものと恐れました。
あるいは、日本の特殊な生食文化が腐敗に対して過剰な敏感性を生んだのでしょうか。

 いずれにせよ、この腐敗をもケガレとしてきたことから、死臭はケガレを象徴する最たるものであったはずです。
そして、こうした死をケガレとするのは、すでに『古事記』のイザナギ、イザナミ神話に見られます。

 神道でいうケガレには黒不浄(死穢)と赤不浄(血穢)があります。
黒不浄とは死体に触れることによって生じるケガレ(穢れ)であり、赤不浄は血に触れることによって生じるものです。つまり、ケガレは触れることによって生じます。
 また、これらの他に、白不浄(産穢)を設け、三不浄とすることもあります。

これらは、いずれも死を連想させるものです。
黒不浄のみならず、赤不浄が吐血や喀血、あるいは外傷といった傷病に伴うものであり、死を想起させるものであることはいうまでもありません。

そして、白不浄を死の忌みとするのは、かつて出産時に出血を見るだけでなく妊婦や嬰児の死亡率が高かったからでしょう。
つまり、白不浄は出生といった喜び事とは裏腹の、黒不浄と赤不浄を複合するものであるからです。
 なお、赤不浄は経血のみ、あるいは経血と出産を含めての不浄とする場合があります。

 ところで、腐敗が多かったことは、逆に日本で納豆や熟れ鮨(ナレズシ)、また世界で最も硬い食品とされる鰹節や奇跡の食品とまでいわれるフグの卵巣の糠漬けなど、発酵作用を極めて上手く利用してきた歴史を見ればわかります。

 つまり、腐敗と発酵は、まるで陰陽のような表裏の関係です。
いずれも菌の働きによるものですが、発酵は人に役立つものであり、腐敗は役立たないものという点にのみ相違があるからです。
そして、腐敗が進んだように見えても、有用さが発見できるものがあることを日本人は経験上、多く見知っていたからです。

 ちなみに、表具で用いる特殊な糊、「古糊」は腐り糊とも呼ばれるように、何年も温湿度変化の少ないところで保存し、特化した用途で役立つものに作り変えた糊です。
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2011年05月26日(Thu)
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