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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅱ.紅白の章(その2)

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Ⅱ-① 白の意味

日本では古来、白が神聖な色として神事に用いられ、ケガレのない清浄を表す色として用いてこられました。
 それはなぜなのでしょう。

ケガレ
 ケガレとは多くの辞書によると、けがれること、また清潔さや純粋さなどを失うこと、失われていることを意味します。
あるいは、古くなってモノが傷むこともケガレといいます。

 すなわち、ケガレとは通常あるべき姿が、そうでない状態に移行する、あるいはしたことをさしているといってよいでしょう。

 ケガレへ神道では「穢」の字を当てることが多いようです。「穢」はそもそも畠などに雑草の生い茂る様をいい、転じてキタナイ、ケガラワシイといった意を持つようになります。

 また、ケガレに「汚」の字を当てることもあります。この「汚」は本来、濁れる溜水をいい不潔であるさまをいいます。

 こうしたケガレ思想の存在は日本人にとって根深いものがあり、それこそ日本のしきたりに極めて多く関わっています。

白色とは
 白はそもそも今日でいうところの真っ白をさしたのではなく、少しくすんだ白っぽい色をいいました。

 それは古代には、あるいは近世になるまで素材を漂白する技術が低く、少しくすんだ感じの白色(オフ-ホワイト)にしか白に近づけることができなかったからでしょう。

 オフ-ホワイトとは、純白でない白っぽい色をいいます。
そして、このシロは古来、生成り色(キナリイロ)とも呼ばれます。生成りは「黄なり」とも字を当てることから、この場合のオフ-ホワイトは、ベージュ系オフ-ホワイトをさします。そして、伝統的な製紙技術をもって漉かれた紙も、おおむね淡い黄色を呈します。

 また、「生」をキと発音するときは「生醤油」や「生粋」といった純粋な、混じり気のないという意味を持ちます。さらに「生娘」や「生糸」といった語が示すようにキには、未だ、あるいは人工でないといった意味もあります。

 ですから、キという語は古代から、色でいえば黄色、構成内容でいえば純粋を意味してきたのでしょう。

 こうした意味から、生成りは「何も手を加えていない自然なまま」ということでもあるので、そして「生地(キジ)」を「素地」とも書くように、「白」を「素」と表記することがあります。
韓国でも、この色へは「素色」という特有の色名を当てています。

 なお、日本では伝統的に、純白の色をさす必要のある場合、「雪色」といった色名を用いてきました。

 ところで、漂白技術の拙さがこの雪色、すなわち純白色を得ることができなかった理由と述べましたが、それでは近代に至るまでの漂白手段にはどんなものがあったのでしょうか。

 その一つに「水晒し」があります。素材を水に浸して太陽光線に当てるというのが水晒しです。
これは実際、理に適っており、水中の酸素が日光の紫外線により過酸化水素とオゾンを生成させ、この過酸化水素が漂白の力を備えているからです。

 ですから、生成り色とは洗い晒した色とも考えることができます。
日本語の「洗い」には「清い」という意味があり、「洗い晒し」といった語にも日光のイメージを伴う、なにかしら明るく清潔感が伴ったニュアンスがあります。

 こうした清潔感、清浄感を得ることが神道でいうミソギの思想であり、ミソギはハライ(ハラエ)とセットにされ、多く「ミソギハライ」として扱われます。

 ミソギは身を清めるために行います。ハライは罪やケガレをはらうために行うことであり、どちらかというと心を清めるために行うことといわれます。
 そして、ケガレは新しくする、いいかえれば再生させることによっても、ハラうことができると考えられてきました。

 『古事記』にはイザナギがその妻、イザナミを黄泉(冥界)へ迎えに行った際、彼女の腐敗して変わり果てた姿を目の当たりにし、一人ほうほうの体で逃げ戻った件があります。
このとき海水で洗ってそのケガレを浄めたと記されます。このように水で洗えば綺麗になるといったことも、ミソギハライ行為の一種です。

 そして、こうしたミソギハライという一種の救済システムが、再生の思想を生みます。つまり、「ケガレても大丈夫なんだよ、ミソギハライでまた生まれ変われるんだよ」といった考え方です。

 たとえば日本の将棋に「持ち駒(手駒)」ルールが生まれたのも、こうした考え方の反映であったのかもしれません。
日本将棋はチェスなど他の類似する盤上遊戯のなかで、唯一、取った駒をまた活かすことができるゲームです。

 また、米国に殺人罪(第一級謀殺)の公訴時効はありませんが、日本では延びたとはいえ25年で時効です。月日がすべてを解決する。起きてしまったことはしょうがない、水に流そうじゃないか。
こうした無常観は、この再生の思想が基になったものかもしれません。
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2011年05月25日(Wed)
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