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表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅰ.左右の章(その8)

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五行説のルール 「天子は南面す」
 古代中国で君主、すなわち帝王を意味する天子は、南へ向かって政治を執るべきものとされていました。これを「天子は南面す」といいます。

 ですから、隋・唐の長安城に倣った平安京の内裏なども正面が南に向かうよう計画されました。
そして、大内裏にある12の門のうち、朱雀門が最も重要視されたのは、これに由来しています。つまり、朱雀門が天皇の正面に位置し、つねに目に入るからです。

 さて、「天子は南面す」が元となり、君主に限らず主体はつねに南面するものと考えられてきました。
たとえば大相撲の正面位置も同様に北から南へ向かっての観戦です。

 ただ、相撲はそもそも神事とされたことから、正面は神様の位置です。ですから、民衆は本来が「向こう正面(南側)」からの観戦であったにもかかわらず、NHKの大相撲中継は正面から放映するといった神様目線のものです。

 また、特に関東地方でお正月に飾る門松も神様の視点に基づくものです。年神様(トシガミサマ)が降りてくる目印が目的とされる門松は、向かって右へ雌松(メマツ=赤松)、向かって左に雄松(オマツ=黒松)を配するのも、これが理由です。
このように神道は多く中国思想を取り込んだことから、神道のしきたりにも陰陽五行は深く根付いています。

 ちなみに、土俵の上に設けられる吊り天井と土俵の形も方円相対にしたがっていますが、天円地方の思想により、江戸時代中頃までの土俵は四角かったといいます。

 ところで、[図-1]と、[図-3]から[図-5]の陰陽魚は、向きが真逆になっています。これは[図-1]が主体から見ての太極図であるからです。

 四天王を二次元的に、すなわち絵画で表現する場合にも五行説が援用されます。
四天王は仏教で四方を守護する護法神とされており、それぞれ東方守護が持国天(ジコクテン)、南方守護が増長天(ゾウチョウテン)、西方守護が広目天(コウモクテン)、そして北方守護が多聞天(タモンテン)です。

 ちなみに、この順は「持・増・広・多」であることから、昔から「地蔵買うた」と関西弁で覚えれば忘れることがないといわれます。

四天王の配置パターン(その1)
 この四天王を画面に配するときには2様あります。
いずれも五行説にしたがっており、その一つが向かって右上に持国天(東)、右下に増長天(南)、左下に広目天(西)、そして左上には多聞天(北)を配する仕方です[図-6]。

img06.gif
[図-6:四天王の配置パターン(その1)]

 このとき画面に向かって右半分が陽、左半分が陰となり、たとえば先述の左京区・右京区の例はこれに則ったものです。

 また、この仕方では南が向かって手前右、西は向かって手前左となります。
これは南の配当色である赤が向かって右、西の配当色である白は左と読み替えることができます。
紅白の水引が向かって右を赤、左は白で結ぶといった約束事の根拠がこれで知れます。

 江戸期に活躍した画家、尾形光琳(オガタコウリン)の代表作「紅白梅図屏風」に見る紅白梅も同様です。これには向かって右に紅梅、左へ白梅が描かれています。
このように古来、紅白を並置させる場合、向かって右に紅(赤)を配することが普通です。

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[尾形光琳 紅白梅図]

 ただ、NHK「紅白歌合戦」で向かって右(上手)が男性陣、向かって左(下手)が女性陣というのは陰陽論と合致しますが、なぜか紅(陰陽論では男)と白(陰陽論では女)の使用法は異なっています。

 紅白は日章旗の配色で見られるように日本を表し、かつ赤(紅)と白に分かれるのは、やはり源平の合戦を由来とするのでしょうが、この番組で紅白へ男女の配当を逆にしたのは赤が女性を象徴する性色である、とされてきたからかもしれません。

 ところで、大相撲で土俵の上に設けられる吊り天井に付けられた四房の色も、この配置に則った五行説によるものです。このとき中央の配当色である黄色は土俵が表しています。

四天王の配置パターン(その2)
 もう一つの仕方が、(絵画においては、こちらのほうが多数派ですが)たとえば興福寺が蔵する南円堂曼陀羅図に描かれた四天王に見られます。
 この図の中央には大きく主体である不空羂索観音(フクウケンジャクカンノン)が描かれ、四天王は向かって右下に東の持国天、左下に南の増長天、左上に西の広目天、そして右上には北の多聞天が配されています[図-7]。

img07.gif
[図-7:四天王の配置パターン(その2)]

 このとき主体である不空羂索観音から見て、手前が陰、向こうが陽となります。
これを根拠に、つまり主体はつねに南面するものとされたことから、主体から見てすべからく手前が陰、向こうが陽になります。

 たとえば先述した衽の右前合せや、日本料理の配膳における手前が海のもの(陰)、向こうに山のもの(陽)を配する根拠がこれにあります。

 さらに、このパターンにおける陰の部分の配当色は、向かって右が黒、左が白です。不祝儀袋に用いる黒白の水引を向かって右に黒、左へ白を配して結ぶ理由がこれで知れます。

なお、白を向かって左へ配置するのは両パターンとも共通することから、白と何かを並置する場合、向かって左へ白を置くのが原則といえそうです。

 また、このパターンで画面に向かって左半分へ注目すると、上が西で陰、下が南で陽となります。
これを踏襲した例に、たとえば書作品の落款(ラッカン=署名)下に押印される印章の捺印法があります。

 この押印は、一般に白文(ハクブン)と朱文(シュブン)の2顆(カ)を用いることが普通です。白文は文字が白抜きで現れるもので、陰文ともいいます。
朱文は逆に文字が朱で現れるもので、陽文ともいいます。作品へは、これらを上下に並べて押します。このとき、このパターンの配置にしたがって上へ白文、下に朱文を用いることが約束事になっています。

 ところで、白文を陰、朱文を陽とするのは、白文を刻すときには文字部分を彫り込む、逆に朱文の場合は文字が浮き出るように文字周りを彫り込んでゆくところからです。
これは海が陰、山が陽とするところから、こうした規定がなされたものでしょう。また、陰が白、陽が朱で文字が表現されることも、陰陽五行に則っています。

 さて、話を戻しますが、以上のような画面の使用法は阿弥陀来迎図(アミダライゴウズ)においても同様です。
この図は人の臨終にあたり西方浄土(サイホウジョウド)にいる阿弥陀如来が多く聖衆(ショウジュ)を伴って訪れるさま、つまり来迎を表現したもので、阿弥陀如来および聖衆は必ず画面左上(西方)から現れます。

 ちなみに、西方浄土はたくさんある浄土の一つで、正しくが西方極楽浄土であり、単に極楽ともいいます。
ですから、極楽往生とは厳密にいえば、浄土教の説く阿弥陀如来を信奉している人(念仏行者)に限定される言葉です。

 この浄土とよく比べられるものに、地獄があります。「地獄極楽」というように日本人は古来、(仏教の教義上は、そうではありませんが)地獄が極楽(浄土)と対極にあるものと考えてきました。

 そして、この地獄からの救済を担うのが地蔵菩薩とされます。浄土教には、この地蔵菩薩も来迎を行うという信仰があり、多くの地蔵来迎図も制作されてきました。
こうした地蔵来迎図では、地蔵菩薩が画面右上から現れるように描かれます。

 それでは、なぜ地蔵菩薩がこのポイントから出現するのでしょうか。
それは地獄の色が黒とされたことにより、五行の説く黒の配当が、このパターンによると画面右上であるからです。

 ところで、漢字圏の二次元平面では文字の書き出しが上からであり、そして下へと向かいます。
書かれた紙を主体に考えれば、上が陰、下が陽となります。陰陽論を陽陰論、あるいは影日向(カゲヒナタ)を日向影といわないのは、こうした原則にしたがったからでしょう。

 また、一般にエビス・ダイコクをダイコク・エビスと呼ばない理由もこれにあります。つまり、先述のようにエビスが陰で、ダイコクが陽であるからです。

 つぎに東西方向を注目すると、たとえば青龍白虎図は青・龍=東、白・虎=西であることから、必ず龍を向かって右へ配置させます。
これは上記2様の、いずれのパターンにおいてもそうであることから、東西に関していえば、平面の画面では向かって右が東、左が西となります。

 ただ、大相撲では向かって左から東の力士が、右から西の力士が出場します。また、番付表も左方が東、右方が西となっています。
これは先述のように大相撲の観戦が神様(主体)の目線であるからです。

 言い添えれば、相撲が東西に分けられたのは江戸時代になってからといわれますが、東の力士が上位とされたのは尚左の思想によるものです。

 さて、以上を要するに、陰と陽の相反するものを並置する場合、左右方向では向かって右が陽、上下方向では多く向かって下に陽を配するのが陰陽五行にしたがったルールといえます。
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2011年05月22日(Sun)
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