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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅰ.左右の章(その7)

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鬼門と鬼の姿
 なぜ鬼には角が生え、虎の縞柄褌(シマガラフンドシ)がつきものなのでしょう。

 これは方位と関係があります。古来、日本では北東位を万鬼の集まる鬼門としてきました。この鬼門は日本の昔の方位の呼び方でいえば丑寅(ウシトラ=艮)です。

 北東位を丑寅の方角と呼んだのは、十二支を方角の呼称へ応用したところによります。
たとえば「子午線」という言葉は北を「子」、南を「午」とすることからから生まれた名称です。

 すると北東は丑の方角と寅の方角の中間位となることから、日本では北東方向をウシトラと呼ぶようになりました。

 さて、この丑寅の方角を邪悪な鬼が出入りする鬼門とするには諸説あります。
なかでも陰陽二元論による根拠は、ちょうど陰の気が衰え陽の気が芽生え始めるといった、二気が極めて不安定になるときであるので、良くないことが起こりやすいといった後付けの理由です。

 ですから、北東の逆側、すなわち南西も逆鬼門(裏鬼門)として忌まれてきました。南西方向は、旧い言い方では未申(ヒツジサル=坤)といいます。
 [図-4]は方位に陰陽太極図を当てはめたものです。

img-a02.gif
[図-4:方位と太極図]

 さて、オニという鬼の読みは「陰」あるいは「隠」の呉音読み、オンが訛ったものとされることから、鬼は陰の象徴的な存在です。

このように古くから邪気を代表する鬼は、北東(丑寅)から侵入すると信じられてきました。
そこで、昔の人は鬼が丑寅からやってくるものだから、鬼の姿はきっと牛と虎を連想させるものに違いない、と考えたのです。

 つまり、日本で語られる擬人化された鬼の角は牛(丑)の角を摸したものであり、鬼の図に見られる鬼の褌、および鋭い牙や爪は虎(寅)を象徴するものなのです。

 一方、鬼門の由来に、道教で冥府の神として信仰されていた「秦山府君」の住む山が北東にあったことからという説もあります。
 ただ、鬼門の名称こそ中国古代の地理書『山海経』に記されたとされる物語が元となっていますが、鬼門による迷信を信じていたのは日本人だけだといわれます。

 したがって、以上のような姿の鬼は日本のオリジナルな図柄です。能面の般若や民俗芸能に用いられる鬼太鼓面(オンデコメン)の造形も、これを基にしています。

「草木も眠る丑三つ時」
 十二支は方角だけでなく、時辰(ジシン)という時刻の呼称としても用いられました。これは一日24時間を12等分するものです。
たとえば「子(ネ)」の刻(コク)は午後11時から午前1時を表します。また、子と対面する「午」の刻は、午を「ひる」とも訓むように、午前11時から午後1時です。
ですから、先ほど述べた丑寅は時刻でいうと午前3時にあたります。

 ところが、中国で明代以降になると西洋の24時間制が採り入れられ、時辰も2分されて1時間に相当する小時(小時辰の略)も用いられるようになります。これにより時刻も「初(ショ)」と「正(ショウ)」に分けられました。
 たとえば太陽が南中する午後12時は午の正刻であることから、正午と呼ばれます。逆に、午前0時は正子(ショウシ)といいます。

 ところで、日本では江戸時代に入ると時鐘の数に由来する「数呼び」という新しい時刻の呼び方が生まれます。
 たとえば子の刻は9回の時鐘で報知されたので「九つ」と呼ぶようになりました。そして、2時間毎に八つ、七つ、六つ、五つ、四つと減じながら午前を巡り、午の刻に再び九つとなります。
 このとき三つ以下がないのは、時辰と時辰間の2時間をさらに四分し、つまり30分毎にそれぞれ一つ、二つ、三つと呼んだからです。

 ちなみに、午後2時から3時ごろに仕事の手を休めて軽食をとる習慣が江戸時代から始まりました。
この時間がおおよそ八つであったことから、この八つ時に食べる間食を「お八つ」と呼ぶようになり、次第に間食自体を「おやつ」と総称するようになったといいます。

 さて、かつて怪談話での枕詞ともされた、魔物が出やすい時分という「草木も眠る丑三つ時(ウシミツドキ)」は、したがって午前2時半からの30分をさしますが、江戸中期以降は午前3時以降の30分をさします[図-5]。

img04.gif
[図-5:時辰と太極図]

 これは時鐘が正刻(ショウコク)に打たれたことにより、次第に時鐘からその時辰が始まると考えられるようになったからです。
したがって、時鐘の打数による時刻は、十二支によるものと1時間ずれることになります。

 ところで、なぜ丑三つ時には魔物が好き勝手な振る舞いをすると考えたのでしょう。
「百鬼夜行」という、魔物が徘徊すると信じられていた時刻が丑三つ時を境とする時分であり、江戸時代の庶民のイベントである「百物語」という怪談会も、この時刻にクライマックスを迎えるよう催されます。

 丑三つ時は江戸時代を通じて丑寅を中心とする午前3時あたりの時間です。
そして、時刻には鬼門に用いた丑寅といった呼称を用いることがなかったので、丑三つ時をこれの代用としたからです。
つまり、丑寅の方角が持つ、魔物が跳梁跋扈するという鬼門の意味が時刻にも転用されたということです。

 いずれにせよ、これらも陰陽五行から派生した迷信です。
丑時に神社境内の樹木へ藁人形を五寸釘で打ちつけ、恨み相手の死を願ったという呪術「丑の刻参り」も同じ次元にあるものでしょう。

 また、節分に鬼を払う行事はかつて大晦日に行われました。その理由は鬼門や丑三つ時と同じです。

 一年を一日にたとえると、ちょうど丑三つ時あたりが年の区切となります。
大晦日は旧暦でいえば丑(12月)が寅(1月)に移行する前日であり、五行説ではこの日が明ければ陰陽の二気が逆転するとしてきました([図-3]、[図-5]参照)。
そして、節分の翌日である元旦から新たな陽が始まると考え、これをもって「一陽来復」としました。

 つまり、大晦日に邪気をハラうことにより、新春が無事に迎えることができると信じられていたからです。年が明けると「おめでとう」と祝辞を述べるのも、これに由来します。

 なお、かつての暦では立春を冬至と春分の中間日あたりと定めたことから、現在の暦とはズレが生じています。
また、節分とは節を分けるということであり、そもそもは各季節の始まりの前日、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日をいいますが、今日では特に立春の前日をさすことが普通です。

 ちなみに、年賀状へ「初春の…」と記すことも、旧暦では1月1日をもって、つまり節分(大晦日)の翌日から春が始まるとしたからです。
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2011年05月21日(Sat)
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