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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅰ.左右の章(その6)

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Ⅰ-② 五行説

 五行説は、木・火・土・金・水の五元素が宇宙を構成するとし、五元素にあらゆるものを配当して、天地万物を説明しようとする自然哲学です。

 たとえば、時においてはこの順に春・夏・土用・秋・冬、方角においては東・南・中央・西・北、および色においては五色、すなわち青・赤・黄・白・黒を配当します。
 さらに、五行では青春、朱夏、白秋、玄冬など各要素を多様に組み合わせます。

また、中国古来の四方の守護神をこれらへ配し、東の青龍(蒼龍)・南の朱雀(鳳凰)・西の白虎・北の玄武とするように複合して用いることもあります。
このとき中央には麒麟(黄龍)を配することがあります。

 ところで、五行説も陰陽二元論と同じように展開し、これらの五元素は互いに影響を与え合い、それらの生滅盛衰が万物の生生流転を招くとする思想に発展します。

 これによって森羅万象の循環、たとえば人の一生も生から死を、東から南、西そして北へと時計回りに当てはめることによって説明しようとするものになります。
 ですから、若さは青と春(青春)で表現します。「青い」という日本語、たとえば青田買いや青二才などに用いる「青」という語が「未熟な」という意味を持つのも、これが一つの由縁です。

 また、「赤」が「熟」という意味を持つのも、トマトやリンゴなどが青から赤へ変色して熟れるといった自然現象による理由に限らず、やはり赤が壮年を表す五行説に因るものもあるでしょう。

土用っていつのこと?
 土用の「土」は、もちろん五行思想による五元素の「土」が由来です。
現在では1年が365日であるので、365÷5(行)=73日、73日÷4(季)=18.25日であり、春夏秋冬はそれぞれ73日間、そして土用は各季の前の18~19日間をさし、合計が73日間です。

 あるいは、五行における季節の配当へ、すべての土用の代わりに季夏のみを当てる場合もあります。季夏は晩夏のことで、立秋の前の夏土用をさします[図-3]。

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[図-3:四季と太極図]

 なお、旧暦では一年が平均して360日とされたことから、土用はほぼ18日間、各季はほぼ72日間でした。

陰陽論と五行説の組合せ
 今から二千年以上も前、春秋戦国時代の末頃に、中国では陰陽論と五行説が一体で扱われるようになります。
 たとえば東・南が陽であり、西・北が陰となります。
日本の「山陽」、「山陰」の地名も、それぞれ中国山地の南、中国山地の北の意であり、これを由来とするものです。

 干支(カンシ)もそうです。干支は十干と十二支の組合せであり、十干(甲、乙、丙、丁…)は陽と陰が交互に配されたもので、十二支(子、丑、寅、卯…)も同じです。

 たとえば十干を例に挙げると、木(もく)は訓読みで「き」。さらにこれを陽と陰で表すのに「兄(え)」と「弟(と)」を使用したことから、日本では木の陽である「甲」を「きのえ」と訓じ、木の陰「乙」を「きのと」と訓みます。
なお、これが干支を「えと(兄弟)」と呼ぶ理由です。

 そして、陰陽で分けられた十干と十二支を、陽と陽、陰と陰で組み合わせて暦をつくります。
ですから、たとえば「甲子」という組合せはあっても、「甲丑」という組合せはありません。

 つまり、十干十二支は10と12の組合せであるので本来は120通りの場合があるはずですが、陽と陰は組み合わさないので60通りの組合せしかありません。
すると、60年で暦が還る(一巡する)ことから、これを還暦と呼んできました。

丙午生まれの女性
 丙午(ヒノエウマ)生まれの女性はなぜタブーとされたのでしょうか。
これは陰陽五行によると丙=火の兄、午=南(南中)であることから、丙午には陽の気が最も盛んとなり、この陽中の陽に陰である女性は陰陽五行思想にそぐわないということで、いわば古人にとっては血液型不適合のようなものであったからです。

 こうしたことから丙午生まれの女性は女性であるにもかかわらず「気が強い」、あるいは「男を食い殺す」といった俚諺が生まれました。
 しかし、この丙午の迷信を信じてきたのは日本人だけであったといいます。

 陰陽五行は本来、思考の便宜をはかるために事物を名付けて特定する、たとえば干支にみられる単位のようなものです。
 ですから、陰陽五行を基としたものへさらに陰陽五行による理を重ねて意味を持たせよう、あるいは陰陽五行の各要素に性格を持たせようとするのは、単なるこじつけであり屋上屋を架すようなものです。そうした途端に陰陽五行は胡乱なものになり、これが迷信を生む元となります。

 たとえば土用(の期間)には土いじりをしてはいけないといったタブーも、土用には土の神様がお怒りになるからだ、といった日本独自のアニミズム的な発想による付会です。

 ところで、丙午による迷信はこれまで多くの悲劇を生んできました。特に江戸時代中期以降、丙午の年に生まれた女の嬰児は相当に間引かれたと伝えられます。
また、明治に至っても1906年(明治39年)に生まれた丙午の女性の多くが結婚できなかったといわれます。
さらに1966年(昭和41年)の丙午では出生数が前年比25%減であり、妊娠中絶を行った夫婦も多かったといいます。

 そもそも日本においては「七歳までは神のうち」というように子供は神仏より授かるという信仰があったことから、子どもをとても大切にしてきました。
ですから、日本社会での中絶は一貫して犯罪行為とされてきています。こうした犯罪を泣く泣く行ってきたのも、丙午の迷信がいかに強かったかを物語ります。

 ただ、「七歳までは神のうち」とされたのは江戸時代以降といわれます。それまで庶民は生きてゆくため子どもを嬰児のうちに間引きすることも普通であったといいます。

 ところが、江戸時代の、子どもは神仏の授かりものとした考えが子どもを慈しむ親心を育て、またかつて乳幼児の死亡率が高かったこともあいまって、江戸時代には次第に「七歳まで」のイベントである七五三といった通過儀礼の風習が一般の者にまで広まったといいます。

 ところで、人口高齢化は先進国共通の現象ですが、日本の高齢化のスピードは他の先進国に比べて異常に速いといわれます。

 終戦直後、日本は食料危機に陥り、飢餓が深刻な問題となっていました。
そこで産児制限のため、1948年(昭和23年)「優生保護法」という法律がつくられ、人工妊娠中絶が可能になったのです。
 しかし、産児制限を始めた直後の1950年(昭和25年)には朝鮮動乱が勃発し、その特需景気によって、産児制限の必要はなくなっていたのですが、その後20年に亘って出生率の低迷が続き、制限前の270万人ほどだった年間出生数は約170万人に減少してしまいます。
 それはおそらく「子どもの数を簡単に調節してもいいんだ」という、それまでの倫理観を覆すような認識が、国民に広まったことが大きく影響しているといえる、とする専門家の分析があります。

 次の丙午は2026年ですが、このとき出生率が、さらに下がることのないよう祈ります。
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2011年05月20日(Fri)
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