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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-あとがき(後篇)

>>未分類
 第3章では和と漢といった対比によって日本の文化構造を述べましたが、実際には「真行草」の〔草〕の部分も日本文化を大きな割合で構成しています。

 表具では本文で紹介した三体九姿を採用せず、日本文化のスタイルは「三体八姿」として口伝されます。それは千利休が唱えた〔草〕のスタイルに〔草の真〕の存在が矛盾するからです。

 ただ、このように茶道が〔草〕にも注目したことが、日本人の文化観に大きな転機をもたらしました。
これが日本文化の重層性といった特徴を、より大きく形づくった要因の一つとなります。

 また、日本は文化の坩堝といわれますが、取り込んだ文化を決して排除せず、自分達に見合った形で残してゆくといった性向も、重層性の形成に一役買っています。

 しかし、「重層的である」というのは、「融合しない」と考えることもできます。

 「和」は、かつての中国文化への憧憬にもかかわらず、決してこれと同化しようとはしませんでした。それは面従腹背というのではなく、物静かに見える「和」が本当はしたたかで我の強いものであるからです。

 つまり、強いがゆえに自らを謙譲し、つねに相手を立てるといった心の姿勢を「和」にもたらしたのだと考えます。
 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という俳句が、日本で詠み人知らずにもかかわらず人口に膾炙しているのも、こうした理由によるものでしょう。

 ところで、それでは「和」とは一体どういうものか、という問いに答えるのは、非才な私には不能なことですが、ただ多くの日本人が主役になることを好まない、というところが「和」の重要な部分を構成している、と言えるとは思います。

 こうした意識が、たとえば厳しい自然の中で生き抜くには謙虚に全ての現象を受け容れざるを得ない、といった「和」の要素の一つを形成したと考えます。

 これは、あらゆるものに、たとえ無機的な物質にも生命があり、生と死の循環を行っているといった認識であり、私達もそのうちの小さな命に過ぎないといった心です。

 いずれにしても、本文で紹介したシュペングラーのいう「月光文明」は文明の衛星圏という意味ですが、実際は似て非なるものであったということです。

 あるいは、本文で幾度も神の二面性について触れました。逆に、有害であるにもかかわらず、非常に有益な面を持つものを神とみなしたともいえます。
 こうした二面性を日本人は唐様にも感じてきたのかもしれません。
 
 つまり、取り込みすぎると、かぶれてしまって中毒を起こすからです。これが日本のバランス感覚に優れる身上を生みだしたのでしょう。

 いいかえれば、日本人のバランス感覚の豊かさは。常に物事を陰と陽という二つの側面から捉え、これの融合を図ってきたことに根差していると思うのです。

 そして、自分たちにとって都合の良いものだけを取り込んで日本固有の文化を理論化・体系化して発展させてきた歴史が、「和」の外来文化に刺激を受け、腐敗せずに発酵するという不思議な性質を養ったのかもしれません。

 したがって、文化の輸入が日本にとって必要不可欠のものだったのでしょうし、今後もまた然りです。折口信夫の説く、異人を異界からの神とする「まれびと信仰」もこうした流れの一つにあると思います。

 さらに、日本にとって日本の製品や生産物が一番なんだと考えることは、こうした意味で一つの驕りともいえるでしょう。

 つまり、日本の独自性のみを追求するのは危険であり、日本文明の衰退を招くと考えるからです。

 常に追従すべき対象を希求するのが和の心の有り様であり、たとえば江戸時代の鎖国後、唐様の新生が望めなくなったときに日本唐様を担ったのが武家です。
 また、平安時代、武士が擡頭するのは菅公の提案によって遣唐使が廃止された後のことです。

 特に、この自前の唐様の存在は強く、江戸時代も平安時代も世界史上にも稀な平和な期間が二百年以上も続きます。
 こうした意味では、明治維新以降の改革の仕方は間違っていたということができます。

 というのも、明治政府は江戸幕府による唐様が廃った末に、新たなる唐様の対象を西欧列強に求めず生まれた新唐様でありながら、たとえば神仏判然令を施行するなど、唐様に固執するあまり和様の存在を軽んじ、その陰陽和合をも無視しすぎていたと考えるからです。
 いいかえれば唐様と和様のバランスが崩れたとき、日本では争いごとが起きるのではないかと思うのです。

 ところで、逆に狭義の「和」がへこたれたときに登場するのが、唐様と考えることもできます。

 陰陽は相反しつつも、一方がなければもう一方も存在しえないものです。したがって、「和」を強い槌で打ち直すことが逆にカラゴコロを蘇生させ、その結果が、日本のさらなる発展に繋がるのではないかと私は思っています。

 そのためには外来の思想や文化、あるいは時に応じ男性的な陽の存在を必要とするのでしょう。
それも陰陽和合を合い言葉に。

 しかしながら、外来文化は本文でも見てきたように、馴化され渾然として日本の文化の中で息づいています。こうした性向は、たとえば本文の中で見た五節句の成り立ちにも強く表れています。

 つまり、日本人にとっての陰陽和合は、あくまで日本化された陽と、陰を結びつけるものであり、生のままの陽は日本的嗜好に合うよう、かぶれないように、まず選別あるいは改良しなければならなかったのです。

 さて、第3章では日本人の素朴な心のシステムについても述べました。

 こうしたシステムは今日でも作動しており、たとえば路傍の草が何かに踏まれて萎れる姿を見たとき、「かわいそうだ」と考えるのは日本人にとって自然です。
 また、朝に門前を掃き清め水を打つ人の姿を見るのは、なぜか気持ちのよいものです。

 日本人の99%が無自覚のこのシステムの信徒であるといわれています。すなわち、仏教徒だけでなくキリスト教徒であっても、ベースにこれがあり日本人の生活行動を支配していると考えられています。

 いいかえれば、このシステムがいわばウィンドウズやマックのようなOSとして働き、日本人の宗教観を含めた基層意識を規定してきたといえます。

 OSという基本ソフトがあって初めてパソコンのアプリケーション-ソフトは作動します。
すなわち、日本人にとって仏教やキリスト教、あるいはその他の宗教がエクセルや一太郎といったアプリケーション-ソフトなのでしょう。
 そして、神道ですらアプリの一つといえます。

 しかも、こうした特に外来のアプリケーション-ソフトは、まず日本人に見合うようカスタマイズされます。

 たとえば、かつて輸入された中国仏教は長い時間をかけて換骨奪胎され、日本仏教として存立します。日本キリスト教も他国のそれと比較すれば、随分と様相が異なっているといいます。

 あるいは、日本人の素朴な心のシステムはOSとまで至らずとも、この反応の触媒として働いた、あるいは酵母として発酵作用を担った、と考えることは可能です。

 人は基本的に宗教を必要とします。つまり、生きてゆく上での心の縁(ヨスガ)は、どんな人にもどんな時代にも必要です。
 今日、殺人にまで手を染めてしまうような怪しげな新興宗教の迷走や霊感商法による被害が後を絶たないのも、このシステムの希薄化が招いた結果なのかもしれません。

 信仰心の低下は世界的な傾向だとされますが、日本の場合はこうした素朴な心のシステムへのテコ入れが、これを杭留める一つの手段になるのではと考えます。

 ところで、この素朴な心のシステムがそうであるように、また天つ神がそうであるように、和の心は隠れて見えないことが多いものです。
 今日、しきたりがとやかく語られるのは、こうした隠れて見えないものを、しきたりを通して探し訪ねるための営みなのかもしれません。

 そして、和様の特質は、その情趣性、情緒性にあるとしました。今日の日本が忘れてしまったもの、それは「情」なのではないか、と多くの人が知らず知らずに思い、そして追い求めているのが、今日、静かに流れる和ブームの理由であるとも考えています。

 すなわち、まず情感溢れるヤマトゴコロを取り戻すことが、現況の打破に必要であると感じられている方の多いことが、この「和」の見直しに繋がっているのではと考えます。

 近頃は、米国が主導するグローバル化に伴い「洋」の比率が非常に大きくなったことから、広義の「和」を構成していて本来が相反していた狭義の「和」と「漢」が一緒くたにされ、これらの境界が曖昧になってしまっている現実があります。

 これは「洋」情報に溢れ、日本人自体が広義の「和」の消化不良に陥っている状況でもあるのでしょう。

 本文で唐様=合理、和様=情緒としましたが、近代科学思想を擁する「洋」もまた日本人にとって合理です。ですから、かつて日本が唐様の情緒部分を切り離して取り込んだように、かぶれ防止のため「洋」のOSを日本人のそれと付け替える必要があります。

 そして、これは確かに戦前まで、あるいは実感として、つい先頃まで上手くこなしつつあったのかもしれませんが、今の日本はその指標を見失っているように感じます。

 つまり、国際化が叫ばれる今日、日本が洋化するのではなく、これまで日本がそうしてきたように「洋」を「和」の心でもって日本化し、新たな重層性を確立して、争いのない平和な時代をさらに謳歌する時期がやってきたのだと考えます。

 そのためには、まず「和」の心を深く理解する必要があります。そして、「和」の心の基本となるのが日本語であり、したがって英語の早期教育は、いくら「洋」を取り込みたいとしても弊害が多すぎるでしょう。

 逆に、日本語を駆使し、日本語ベースでものを考える人が日本人であると定義することができます。つまり、日本の環境風土を基に生まれた日本語には、日本民族の魔法がかかっているからです。

 たとえば日本に帰化した呉善花さんは、韓国人の感覚からすると「心にもない形式的」「軽々しく使われすぎ」と思っていた「ありがとう」の言葉が「(日本式にありがとうを)頻繁に使うようになっていくと、だんだんほんとうにありがたい気持ちになっていく」ということを著書『日本の美風』で述べられています。

 同じく帰化された中国人、石平氏は『私はなぜ「中国」を捨てたのか』の中で、外国人にとって至難とされる敬語の使用を身につけることによって「私はいつの間にか、尊敬と謙譲の姿勢をごく自然に身につけることができるようになっていた」と書いておられます。

 また、内田樹氏は『日本辺境論』で、「日本語はどこが特殊か。それは表意文字と表音文字を併用する言語」であるところとし、こうした表意文字(漢字)と表音文字(かな)を並行処理する「ハイブリッド言語」は、「きわめて例外的な言語状況」であるとしています。
 それは文字処理を扱っている脳部位が異なっているところであり、こうした「言語処理の特殊性はおそらくさまざまなかたちで私たち日本語話者の思考と行動を規定しているのではないか」と記されています。

 つまり、日本人は日本語を使用し続ける限り、日本人であるということです。そして、そうすることによって日本民族が長きに亘って構築してきた魔法の恩恵を享受することが可能だと考えるのです(了)。
                                                  
2011年07月08日(Fri)
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『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-あとがき(前篇)

>>未分類
 本編では各章のタイトルをご覧いただければわかるように、対比を通して日本のしきたりと和の心を論じました。

 第1章では陰陽五行を身近な例を挙げて解説しています。まえがきにも記したように、表具に限らず伝統工芸や伝統芸能の世界では陰陽五行の知識が必須のものです。

 ところで、屏風は六曲一双が本来のスタイルです。六曲一双屏風は、6面を一まとめにして繋いだものを半双と呼び、これを二つセットで一双(一雙)として用いるものです。
 ですから、いずれか片方を片隻(ヘンセキ)と呼ぶことがあります。

 屏風には他に二曲もあります。二曲屏風はそもそも戦国時代に戦場へ持ち出し陣幕の代わりとしたことから発展したものです。

 なお、四曲屏風は「四」のタブーが薄れたからか、今日ではつくられることもありますが、元来が存在しない屏風です。
ですから、屏風はそもそも、切腹屏風や臨終屏風など特殊な例外を除いて六曲と二曲しかありません。

 ただ、屏風は必ず一双で用いる調度とされました。そして、二曲については一隻(半双)単位で使用されるものも多いことから、六曲一双屏風が式正のものとされます。

 この六曲一双屏風の画題は、かつて月次絵(ツキナミノエ)であることが普通でした。すなわち、六曲一双は12面あることから、一面一面の月単位でその月に因む絵画が描かれたのです。

 しかし、なぜこれを二つセットの形にしたのでしょう。それは左隻(向かって右)に1月から6月を、右隻(向かって左)に7月から12月までを表現し、左隻=陽、右隻=陰として陰陽和合を意図したからです。

 さて、今日、美術館や博物館では向かって右を右隻、向かって左を左隻と呼んでいますが、主体を考慮すれば本当はその逆で呼ばねばならないものです。

 このように、どうもアカデミックな世界では陰陽五行を敬遠しがちであり、しかも胡乱なものに思いがちです。
それは陰陽五行が風水や四柱推命、あるいは陰陽道(オンミョウドウ)の根っこにあるものだからでしょう。

 しかし、しきたりは民族の一つの歴史であり、風神雷神図がそうであったように、しきたりの由来を語るには、往時の考え方や信じられていた思想を参照し、当時の日本人の心を再現しなければなりません。

 ただ、陰陽五行は今日でも未だ根深く息づいています。

 たとえば以前、私がお会いしたお客様に「東奈」さんというファーストネームを持つ方がいらっしゃいました。
おそらく読みづらいのであろう、その名刺には「Haruna」と、ローマ字が付記されていました。

 私がお名刺を見て「陰陽五行によるご命名ですね」と申し上げたところ、彼女にすかさずその説明を求められました。
そこで私がひとしきりお話しした後に、「これまで人に会うたび東をハルと読む理由を尋ねられ、知らなかったことから随分と恥ずかしい思いをしました」とお喜びいただきました。

 「右彦」さんという方にもお会いしたことがあります。ミギヒコさんではありません。すると、この方のお名前はどうお読みするのでしょう。

 答えはアキヒコさんです。「天子は南面す」ということですから、右方は五行説で西。そして、西には秋が配当されることから右彦をアキヒコと読むのでしょう。

 人名への当て字は読みづらいものですが、陰陽五行をその根拠とする命名が今でも割と多くあるように、陰陽五行を基にする考え方は今日でも広く一般に浸透しています。

 そしてまた、コトシロヌシとオオクニヌシをヱビス・ダイコクとなぞらえたように、民族の記憶には悠久の時を超えるものがあることにも留意しなければいけないでしょう。

 第2章では「紅白の章」としたように、主に紅白の意味について記しました。

それは多くの習俗、しきたりがケガレをハラうことへ執着したあまりに生まれたものであるからです。
そして、ケガレがあくまで日本の風土に根差した、健康や防疫へ留意した末に生まれた思想であることにも気づきます。

 ところで、表具師として頭を悩ませたのが、本文で紹介した御霊神に施す、特殊な取合せの根拠です。
それは私も以前、紅白はめでたいときに用いるといった固定観念に縛られていたからです。

 表具は黙して語りませんが、その背後に日本人の心の原風景を写しとっています。それは、そもそも表具の取合せ自体が見立そのものなのであり、表具が作品世界の拡がりに資するものであるからです。
つまり、表具は和の文化的遺伝子を備え、そして伝えるものであるからです。

 ちなみに、水引を掛けた包装紙に用いるような、紅を白で包み込むものに「日の丸」があります。
しかも、(実際の方円相対は寛永通宝のような円形方孔さしますが)まるで陰陽論の方円相対にしたがったかのような、その中心を円(=陽)、地を方(=陰)としたデザインです。

 国旗はその国民性を示す、あるいは国家の理念を表す最大のシンボルです。ですから、日本人にとって日章旗の赤と白は特別な価値を持っており、本文に見た紅白の意味からすれば日本人がいかにケガレを防ぐことに腐心してきたかがわかるでしょう。

 そして、これは今日でもそうであり、たとえば日本での温水洗浄便座の普及率が高いことや、不潔恐怖とまでいえる抗菌グッズの過剰な開発と販売からも知れようというものです。

また、日本以外の国でほぼ見かけない「おしぼり」は、以前からの習慣ですが、ご丁寧なことに「おしぼり」は、それ自体の、あるいはそれが及ぼすケガレをも嫌ってか、「おしぼり受け」に載せることがマナーです。

 ところで、ケガレは本文でも記したように、人の行いの濁って清からぬ意を持ちます。これが一昔前の日本人の良心を築いてきたものです。
「あいつは汚い人間だ」といった形容方法も日本独自のものといわれます。

 また、日の丸の「日」は太陽のことと説明されますが、太陽は天道(てんとう)ともいいます。
天道は仏教用語ですが、天の神をさすこともあり、自然に定まっている道理を意味することもあります。

 この天道は親しみを込めて「お天道様」ともいいますが、この頃ではお天道様という言葉が死語に近くなりました。
「お天道様に恥じない」ように生きるといった、つい先頃まで普通に見られた道徳規範も近今では顧みられなくなっています。

 今日に見るモラルハザードは「隠れて為したつもりの不善もお天道様は知っている」という心を、どこかに置き忘れてきたことが原因の一つと考えています。
 こうした日本人の最大の美徳を取り戻すことができるかどうかが、日本の将来を占うといってよいでしょう。
2011年07月07日(Thu)

『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その23)

>>未分類
日本仏教の独自性
 先述した世界六大文明における日本文明以外の文明は、西欧キリスト教文明、イスラム文明、ロシア正教文明、ヒンズー文明、中華文明であり、これらは概ね宗教で括ることができると考えます。
すなわち、順にキリスト教、イスラム教、ロシア正教、ヒンズー教です。

 そして、中国は宗教を否定する現国家体制からは見えにくいのですが、以前の道教への排撃からしても、やはり儒教としてよいでしょう。

また、それは日本の靖国神社参拝に対する攻撃的な考え方にも表れています。
 つまり、儒教では死んだ悪人は未来永劫悪人であるといった考え方があるからです。そしてまた、儒教における先祖祭祀が、直接の祖先以外は祀らないという事情もあります。

 それでは日本文明は、という問いが起こると思いますが、これは日本人の宗教人口の最多を占める神道系と仏教系、つまり日本仏教とするのが妥当なところではないでしょうか。

 この日本仏教には先祖崇拝という、儒教的な要素も少なからず見られます。それは先述した位牌の重視がそうであり、また日本独自の十三仏信仰もそうです。

 ただ、祖先神信仰は古代アジアで共通して存在したという説もあります。たとえば日本でも、仏教伝来前の古墳時代後期には祖霊信仰が国家規模で行われています。

 ところで、十三仏とは、生まれ年により十三仏のいずれかが一代の守り本尊となるものです。
 また、冥界への旅立ちに際し、それぞれの忌日に供養することで、現世から未来永劫まで導いてくれると信じられている諸尊のことをいいます。

 すなわち、亡くなった者は13尊によってあの世で導かれると信じられており、その導く仏の替わるとき、たとえば四十九日、三回忌といった年回法要が行われます。
こうした行事の伴うやや儒教的な信仰が十三仏信仰です。

 この十三仏信仰には「十三」という奇数が用いられ、中陰と呼ぶ四十九日(七七日)までは7の倍数の逮夜、以降の年回法要も百箇日を除き、唐様の陽数である奇数が並びます。

 しかし、十三仏信仰の本質はこうした謂れにあるのではなく、悲痛のあまり死を受け入れることが不能な遺族が、故人を知る親しい人と、法事という供養を機会として語り合うことによって次第に癒やされてゆくシステムにあると、京都大学大学院教授のカール・ベッカー氏はいいます。
 そして、こうした法事は日本人の優れた智恵を示すものだ、ともしています。

 日本仏教には神道あるいは道教の持つ現世利益的な側面もあります。こうしたところのよく現れているのが福神信仰を基にする七福神信仰です。
そして、これもまた日本独自の信仰です。

 福神(福の神)信仰とは、福・禄・寿すなわち健康・金運・長寿といった現世ご利益の実現を目指した民俗的な信仰です。
あるいはまた、これを発展させ宗教的信仰にまで昇華させたものをいいます。

 この福神信仰の代表的なものが七福神信仰です。

七福神は7柱の吉瑞を示すとされる神仏のことであり、そのキャストは一般に大黒天・毘沙門天・弁才天・福禄寿・寿老人・布袋・恵比寿天の7柱の神仏をさしますが、寿老人の代わりに吉祥天などを当てることがあるように必ずしも一定したものではありません。

 仏典『仁王般若経』に「七難即滅 七福即生」という言葉があります。これは世の中の七つの大難(太陽の異変、星の異変、風害、水害、火災、旱害、盗難)はたちどころに消滅し、七つの福が生まれるという意味です。

この七つの福が七福神信仰につながったといい、七福神は通常が1柱ずつ寺院で祀られます。

 ただ、七福神信仰は室町時代にインド(大黒天・毘沙門天・弁才天=ヒンズー教)、中国(福禄寿・寿老人=道教、布袋=仏教)、日本(恵比寿天=神道)をルーツに持つこれらが一つのグループにまとめられて成立したものであり、これはヒンズー教・仏教・道教・神道を総合した、多神教をよしとする極めて日本的な信仰です。

 こうした心性が、たとえばクリスマスやバレンタインデーといったキリスト教の行事に寛容な民族性を生んだのでしょう。
つまり、多くの方が指摘するように、キリストもたくさんいる神の一人だという無意識的な認識が日本人の心の奥底にあるということです。

日本人のモットー「和」
 先述した雷神と風神、また恵比寿さんと大黒さんを並置させるのも、それぞれ在来神と渡来神といった関係から、充分な力の発揮を期しての陰陽和合を図ったものと考えることができます。

 陰陽和合の実例としては、天皇の象徴である日月を挙げることもできますし、会社の正式な、あるいは重要な文書には代表者印と社印を併捺することが普通であることもそうです。
夫婦茶碗も日本独特の食器であり、お隣の韓国にもありません。

 さらにいえば日本人が好む、「酸いも甘いも噛み分ける」という円熟を示す成句、「清濁併せ呑む」といった白か黒かの二元論で解決できない言葉も、陰陽和合を表すものかもしれません。
そして、国つ神の二面性に見る「悪に強ければ善にも強し」といった諺の成立も、こうした意識の発展と考えることができます。

 また、自然と人工を陰と陽、と仮定するなら、陰陽和合は今日の地球人の最も重要なテーゼとなります。

 江戸時代の江戸は極めて衛生的で、かつほとんどゴミの出ない世界有数のリサイクル都市であったといいます。
こうした伝統を受け継いでいるのか、日本の地球環境保護に対する意識は高く、日本のエコロジー技術が世界の最先端を走っていることも、自然と人工の調和、つまり陰陽和合を理想としてきた日本であるからこそ達成し得たのだと考えることができます。

 一時の公害に悩まされた日本は人工、すなわち科学技術への依存に振れすぎていた状況でした。
これは陽が強くなって陰が廃ったと考え、その反省から陰陽の和合への回帰を目ざしたことより、日本は世界に誇りうる環境に優しい国づくりを行っている、と考えることができます。

 そして、そもそもがイザナギ、イザナミという男女二神の和合によって日本の国づくりが始まったのです。

 このように陰陽が和合してこそ、はじめて理想的な世界が実現すると考えてきたのでしょう。
そのため日本では、つねに陰と陽の存在を認識する、しかも陰と陽を峻別する必要があったのだと考えます。

 二項を対立させることによって世の中を秩序だてるのは何も日本に限ったことではありません。

 しかし、日本人が有史以来、最も大切にしてきたモットーである「和」が、たとえば自然と人工などの陰と陽といった二項を上手く結びつけてきた、
そして陰と陽を上手く捌いて利用してきたという事実は、日本人の心を考える上で見逃すことができないと考えるのです。
2011年07月06日(Wed)

『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その22)

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Ⅲ-④ 陰陽和合

 第Ⅰ章でお話しした陰陽論は確かに中国で生まれた思想ですが、日本で深く浸透しました。それは一体なぜなのでしょうか。

 文明史学者のシュペングラーは「日本は月光文明である」と言及しています。月光があれば日光があるはず。その日光とは日本の場合、中華文明をさします。

 それは日本人が古からずっと中華文明に憧れてきたからです。これが由縁して、かつて日本人は公的な場では中国文化、私的には日本の在来文化を奉じてきました。

 日本文化の特徴は重層性にあるといわれます。そして、このあたりが、これまでに見てきたように、その基本構造になっていると考えます。
 それは日本人がハレ(正式、公式)とケ(普段)を峻別してきた点からも、こうした図式が窺えます。

 ただ、日本人は自らを「ワ」と呼んだように、日本には古代から「和(調和)」を最も大切にしてきた気風があります。

 これは聖徳太子の十七条の憲法においても、「和を以て貴しと為す」という条項が第一条に記されることからも知れます。そして、これが陰陽論における考え方の中で、日本人が陰陽和合を特に重んじてきた理由です。

 つまり、陰陽和合こそが、漢と和、公と私、ハレとケ、あるいは建前と本音といった二元性を無理なく結びつけた、あるいはこれらの上手な棲み分けを可能にした手段だったのだと考えます。

 ちなみに、プラスとマイナスで構成される乾電池が、明治時代の日本人、屋井先蔵によって発明されたのも、こうした伝統があったからやもしれません。

陰陽和合の象徴-日本仏教
 これを日本人の宗教観に当てはめてみると、公的には仏教を信奉し、私的には神を祀るといった在来信仰を護ってきた、と考えることができるでしょう。
 これは仏壇のあるご家庭には、たいてい神棚があることからもわかります。

 また、たとえば葬儀は式であり、公式の行事です。これには仏教だけが取り仕切り、死のケガレを忌み嫌ったという理由もありますが、神道はあまり葬儀に携わってきませんでした。
 これもまた陰陽和合の事例と考えることができます。

 それでは結婚式はどうかといいますと、これはかつて「祝言」と呼ばれた宗教性の薄いものでした。
 今日の結婚式には神前式・仏前式・教会式などがありますが、以前は主に新郎の家で親族や知人を招き、特定の信仰やその実践とは関わりなく催されるのが普通であったからです。

 神道が結婚式に関わるようになるのは比較的最近のことで、明治34年以降のこととされます。仏前式についても、その始まりは明治の中期以降のことであり、ちなみに仏前式は今日でも、ほぼ仏教関係者に限られた儀式です。

 また、結婚式を宗教に関わる儀式として捉える風が少ないことは、日本でキリスト教系教会での教会式が、多く信徒以外の者によって行なわれることからもわかります。
 逆に、葬儀をキリスト教式で行うのは、キリスト者以外にありません。

 さて、陰陽論での、陰と陽は「相反しつつも一方がなければもう一方も存在しえないもの」と定義されます。そして、陰陽論は「(陰と陽の)二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる」という宇宙観をもちます。

 神道と仏教の混在、神社と寺院の併在に日本人が矛盾を感じてこなかったのは、在来信仰と仏教を裏表の関係、すなわち陰陽の関係と捉えてきたからではないでしょうか。

 そして、これらが和合した状態、つまり渾然一体となったものが日本仏教の本質といえるでしょう。
いいかえれば日本仏教は、中国渡りの仏教がカスタマイズされ、日本で完成された宗教であると考えます。

 日本仏教は、こうしたわけでは陰陽和合の最も大きな象徴でしょう。

 それは日本仏教が原始仏教や中国仏教、あるいは他国のどの仏教とも異なる非常に特殊な仏教として発展したことからもわかります。
 また、葬儀に関わるのも日本仏教だけです。

 今日、無宗教を標榜される方が多くいらっしゃいます。これは在来信仰の希薄化によって日本仏教が廃れつつある現象を示していると考えることができます。

 そして、この萌芽は明治政府による神仏分離令(神仏判然令)に始まります。それは、それまで寺院と神社は同居していることが普通であったからです。

日本の環境風土が生んだ日本仏教
 日本における宗教の信者数は、平成18年度の文化庁編「宗教年鑑」によると、神道系が約1億7百2十万人、仏教系が約9千百2十万人、キリスト教系が約2百6十万人、その他約9百9十万人とあります。

 この資料を信じると日本の人口は2億人を超えていることになります。

 これは、実際が神道系と仏教系に多くの重なりがあることによって、こうした数字が統計に現れているからです。

 しかし、神道信者がこれほど多くの割合を構成しているとは考えにくいものがあります。それでは、神道系とは一体何をさすものなのでしょうか。

 神道は祭政一致を旨とする皇室神道を除き、現在13に大別される教派神道と、神社神道に分けられます。

 ただ、神道には家庭や個人においてのみ営まれる民俗神道もあるように、神道と呼ぶものは極めて雑多な信仰の集合体と見ることができます。
 つまり、狭義の神道は民間信仰の中でも体系化されたその一部と捉えることができます。

 こうした神道系のベースに、古来のアニミズムに近い自然信仰を含めた、日本人の原初的な宗教意識を織りなす心性が想定できます。

 この基層意識とも呼べる心性は、たとえば路傍の草に語りかける、日の出にあっては手を合わせる、あるいはケガレを忌み嫌うといった、日本人にとって自然な所作や考え方の基にある精神であり、礼拝や儀式を伴わない素朴で信仰とまでも呼べないような心のシステムです。

 そして、これは前章で見てきたように日本の環境風土を基に生まれたものと考えます。

 ですから、ここでいう神道系とは、神や神霊についての信念や宗教的な実践を伴う狭義の神道のみをさすのではありません。

 ところで、歴代首相による「伊勢神宮への初詣」は戦後からほぼ恒例行事となっています。なぜ首相の一年が年頭の伊勢神宮参拝からスタートするのでしょうか。

 靖国神社への首相の参拝については「憲法が規定する政教分離の原則に反する」との論議もかまびすしいのですが、伊勢神宮に関してはこうした議論がほとんど聞かれません。

 靖国神社は御霊信仰を基盤とするにもかかわらず、戦前の政策によって国家神道の象徴的存在とされます。この国家神道とは西欧列強と対抗するためにとった神道国教化政策、つまり明治時代に皇室神道を利用して便宜上つくり上げた一神教的な政策遂行上の道具であり、そもそも神道ではありません。

 話を戻しますが、首相秘書官室は「伊勢神宮は日本の神社の総本山であり、祀られている天照大神は太陽の神様である。太陽は国にとって大切な存在であり、首相が年頭に参拝することで国家の安寧を祈願する意味がある」としています。

 この説明をうけて疑問に思う日本人は少ないでしょう。つまり、ここに皇室への崇敬だけでなく、素朴な心のシステムが働いているといえます。

 この心のシステムは宗教以前のものであることから教義を持たず、代わりに生活という形で表われてきました。それゆえに、これは行動原理のみならず、生活文化に深い関わりをもっています。すなわち、特に生活文化に見られるしきたりの多くは、この民俗的な心の拠り所を基にしているといえます。

 そして、本章の冒頭で述べた「和魂漢才」の和魂、つまり日本民族固有の精神とは、こうした素朴な心のシステムが紡いだものをさすのでしょう。日本仏教も、こうした心性を基に成り立っていると考えます。
2011年07月05日(Tue)

『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その21)

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ほろび
 着物の染色模様に見られる菊一面の中でわずかに表現される裏菊(ウラギク=裏側から見た菊)や、同様の加賀友禅のアクセントとして用いられる病葉(ワクラバ)表現などから知れるように、ごく一部の破調を好む美意識もまた日本文化の特徴です。

 また、表具などで作品周りの装飾に用いる織物のことを裂地(キレジ)といいます。

一部の表具用裂地には、たとえば唐草文様のような連続文であるにもかかわらず、一部不連続な状態を図案化した「破れ(ヤブレ)」「掠れ(カスレ)」を表現したものがあります。

 この破れ・掠れと呼ぶものは、使用限度が過ぎ文様が判然としなくなったような古美を表したものをいいます。
このような破れ・掠れを当初より織物で表現し、好んできたことも、破調に対する美意識の発露でしょう。

 これは古美の発展したものかもしれませんし、たとえば「散らし書き」のような余白、あるいはアシンメトリーを好む心性が深化したものかもしれません。

 今日、ジーンズにはダメージド加工が施されることが少なくありません。ダメージドはあえて使い込んだ様子を、当初より人為的にジーンズ等へダメージを与えて表現したものです。

日本のダメージド加工の水準は高く、これらが世界中から注目され、もてはやされるのは、このような日本人の心性によるものが大きいのでしょう。

 以上のように、和様では完全性を伝統的に嫌ってきました。これに対し、西洋や中国では完全性を追求し、曖昧なものを排除してきた歴史があります。

 ただ、日本では唐様建造物の代表ともされる日光東照宮でさえ、柱一面になされた「屈輪(ぐりん)」と呼ばれる彫り文様が、ごく一部上下逆さまに施されています。
つまり、これも不全をよしとする考え方に基づいてのものです。

 先に、ケガレとは通常あるべき姿が、そうでない状態へ移行するときに生じると述べました。
しかも古くから日本人はあらゆるものにケガレが訪れ、日常の状態がくずれてしまうことをしっかりと認識し、これに無常観、愛惜観を抱いてきました。

 すなわち、完全なるものは完全なるがゆえに、あとは「ほろび」のくるだけであるといったことを嘆いたのだと考えます。このホロビをドナルド・キーンは「(日本人にとっての)美に欠くべからざる要素」としました。
ホロビはこうした意味で、「滅美」と書かれることもあります。

 ところで、和様が月を好んだのは再生の思想ゆえともされます。この再生は陰と陽の循環と捉えることもできます。

 望月は次第に欠けてゆき、やがて晦日で月隠り(ツキコモリ)となっても、次の新月でまた生まれます。

不変を望みつつも、こうした救済システムの存在を日本人は熟知していたからこそ、「ほろび」を美的な理想としてきたのかもしれません。

 また、望月のつねに欠けるところに愛惜観を抱き、これをアワレと感じ入ったのでしょう。

つまり、日光東照宮の例からもわかるように、完全性をモノノアワレの対象としたのかもしれません。

 モノノアワレは日本人の美徳の一つ、人の悲しみも我がことのように受けとめるといった自他同一観の表れであるとも考えます。

自他同一観は日本の禅の重要な思想であり、自他を対立させず一元的になるということですが、古来のアニミズムが由来してか、日本人はこうした心性を生得しているように感じます。

 なお、東日本大震災の際、被災された方がたがこの大きな自然災害を従容として受け入れておられた姿には感動しましたが、これは再生の必ずやあることを先祖代代の智恵として知っておられたからに相違ありません。

 また、その際、日本中の多くの人びとが自粛モードに入ったのも、こうした自他同一観の顕れでしょう。
2011年07月04日(Mon)

『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その20)

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古美
 古味を帯びたものを賞翫する日本人独特の気風があります。これをフルビと呼び、日本人は一般に、年月の重みが加わっていることに古雅な趣を見出してきました。
 これは今日、サビという語で表現される日本的美の概念です。

 フルビはフルミが訛ったものと考えられており、古いものには味があるとして古味と表記し、さらに「古美」と字を当てたものでしょう。

 古美は神道における清浄の思想とは相反し矛盾するようにも思えるものですが、多くの事例から類推すると古美とは荘厳が施されたもの、美装されたものが年月を経ることによって、次第にその元の鮮やかな姿が控え目な色調へ転じたときに用いる語のようです。
 これはまた、サビとともに語られるワビという日本の美の概念を説明しています。

 さて、これを逆にいえば、自然と人工を陰と陽の対象としてきた古美は、多くが古びたその下に、秘めた美を内包している場合に用います。

 たとえば荘厳の施された寺院建造物に経年による古美が帯びることを愛でたり、また谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に書かれたような「心得ない下女などが、折角さびの乗って来た銀の器をピカピカに研いだりして、主人に叱られる」といったことです。

 特に、この銀の古美は古くから愛おしまれました。銀が好まれたのは、先述のように銀が高い殺菌性と財産性を示すものといったのも理由の一つでしょう。
 また、銀は砒素などの毒物にも化学変化を起こしやすい性質があります。

 たとえば江戸時代には、将軍や領主の毒殺を防ぐため、毒見役が事前に銀箸で毒物の有無を調べたといいます。
 というのも当時の主に使用された毒物に、硫砒鉄鉱という砒素化合物があります。これに含まれる硫黄分が反応し、銀の箸を黒変させたからです。

 ですから、銀(古美)へは鉄などと異なり、その表面のみが変化するところに価値性を見出してきたといえます。

 つまり、銀古美には古びた、黒いその下層に価値性の高い輝くばかりの銀色が存在していることから、一つに古美とはやはり不変を愛でる心です。

 ただ、日本人は一般に変色しない金へ古美感情を抱きません。

 ところで、「いぶし銀」という語はこれをさします。この硫化銀から発展的に生まれた表現「いぶし銀」は、華やかさこそ欠けるが実力はあるという意であり、これには寡黙な渋さがイメージされます。

 「渋い」は日本美学を代表する日本語です。日本文学研究者で先般、日本国籍を取得したドナルド・キーン氏は『日本人の美意識』で「(渋いは)すでに英語の辞書にも入っている」とし、「この言葉が意味する美的表現上の性格は、まず控え目、そして洗練ということだ」といっています。

 また、日本は言挙(コトアゲ=言揚)しない国といわれます。言挙とは「言(コト)」として表現されると「事(コト)」として実現するという言霊信仰に根差すものです。

 そして、言挙しないこととは「むやみに言葉として発してはかえって効力を失うこと、よほど重大なことでない限り慎むこと」であり、つまり賢明な寡黙さが日本人の美徳とされてきました。
これが日本人の「察する」ことを人間関係の基本に置くという姿勢を生みます。

 いぶし銀が好まれたのは、まさにこうした理由です。そして、控え目、寡黙さという形容は一段下った、つまり陰陽論の説く陰をイメージさせます。

 ところで、表具や書画の世界でよく用いる言葉に「時代色」があります。これは経年によって作品やその廻りに用いたものがくすむこと、あるいはくすんだ色をさします。
 表具で用いる部材へあえて時代色を付けることがあるように、「時代(色)が付く」のも決してよくない意味でなく、逆にプラスイメージの用語です。

 また、日本の絵画の世界には「大名浸み(ダイミョウジミ)」と呼ばれるものがあります。これも古来、古色が付いたとして喜ばれるものです。

 大名浸みは、その語が示すように、大名が所有していたような大名物(オオメイブツ)の絵画、特に絵絹に描かれた作品へ長年に亘って現れた茶系の斑紋をさしていいます。
 そして、時代色も大名浸みも良好な保存状態が出現の前提条件となるものです。

 したがって、古いものをただただ尊んでいるのではなく、その対象が荘厳や美装など価値を有しているものという前提があって初めて古美が存在すると考えます。
 しかも腐らない、すなわち朽ち果てないものが古美の対象です。

 そしてまた、埃がついている、あるいは汚れているというのは問題外であり、清潔であるというのも条件であるようです。

 秘めた美についてさらにいえば、たとえば素材に時代色がついても、たとえば素木ならば茶系に色が変化したとしても、削ればそれとわかるようにその内面には明るい生成り(キナリ)で無垢な色が存在しています。

 すなわち、古美は長期に亘ってケガレていないことを賞美する考え方ともいえます。こうした物の捉え方が日本人の素木を愛でる心にも繋がっているのでしょう。

 また、遷宮(セングウ)については先述したように、ケガレを意識したものであり、神社という建造物をケガレの吸着装置とみなしていたと考えるべきなのでしょうが、たとえば伊勢神宮に使われ遷宮によって廃材となった檜材はまた、全国の寺社に配られ、おのおの新たな社殿の造営に使用されます。

 つまり、削って新しくするといった、再生の思想がここにも見られます。

 いずれ古美も、中国的な自然を野卑とする唐様の文化観と異なり、人工をよしとしない、そして日本人の衛生観と結びついた和様独自の思考が深化したものと考えます。

 ただ、たとえば京都の竜安寺に見られる石庭もまた、人工であり、かつ自然を表現したとされるものです。
そして、自然と人工を陰と陽の対象と見なし、その和合をもって上手く自然と共生してきた姿がここにも浮かび上がります。

 古くなり、くすむことも自然現象です。ですから、古美もまた、陰陽和合を実現する一つの実例として捉えられてきたといえるでしょう。
2011年07月03日(Sun)

『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その19)

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広葉樹
 こうした針葉樹に対し、国産広葉樹は、欅(ケヤキ)など寺家唐様で用いる一部の材を除き日本で建築材として伝統的に好まれません。
 これは植林が檜や杉の針葉樹が中心で、広葉樹の山が雑木林と呼ばれてきたことからもわかります。

 たとえば楢(ナラ=水楢)は英語ではオークであり、西欧では最高の木材とされるものです。
 この楢(落葉樹)は明治時代に辞書をつくった日本の翻訳者によって樫(カシ=常緑樹)と誤訳されましたが、これは西洋の銘木があの雑木、楢であるはずがないという思い込みによるものといわれます。

この楢は明治の末期にその価値が認められ、その後ジャパニーズ・オークとして世界的な名声を馳せています。

 さらにまた、山毛欅(ブナ=落葉樹)にいたっては木偏に無(橅)と表記することがあるように、木のうちにも入らないとされてきました。

 なお、マツはマツキともいいますが、ブナやナラはブナキやナラキなどとは呼びません。

 ところで、ブナ科の柏は楢と同様の変遷を経て、後にジャパニーズ・エンペラー・オークとかダイミョウ・オークと呼ばれ、やはり今日では評価の高い材となっています。

 禅語に「松柏千年寿」という句がありますが、このときの「柏」はヒノキ科の常緑針葉樹である真柏(マガシワ)、別名、槇柏(シンパク)をさします。
 つまり、中国語での柏はこの針葉樹のことであり、日本では万葉の時代から柏はブナ科の広葉樹をさします。

 なお、松、真柏、欅などを盆栽にしたものは「真の盆栽」と呼ばれます。この盆栽は中国で唐代に行われていた「盆景」が平安時代に日本へ入ってきたものに由来します。

 盆景は、扇子や屏風を考案したように日本人のコンパクト化志向に見合ったのか、やがて日本独自の文化として進化を遂げます。
 江戸時代には「盆栽」と呼ばれるようになり、近今はBONSAIと表記され世界中で高い評価を得ています。

 ところで、扇子は8世紀頃の、団扇を元にした日本の発明です。以降、日本では儀礼や贈答で多用され、中国へは北宋代に輸出が始まり、西洋でも中国を経由して流行したといいます。

この扇子のプロトタイプが檜扇(ヒオウギ)とされ、これは檜材素木の薄板を重ね繋いで扇子にしたものです。
 そして、後に和紙を貼った紙扇が生まれます。

 かつて扇には神霊が宿るものとされていました。檜扇には房飾りがなされることも、また用材に檜が使われたことも、その証でしょう。

 扇の歴史的仮名遣は「あふぎ」であり、扇は風を送ることによって「神霊をあふぎ(仰ぎ・扇ぎ)寄せる」ものとも考えられていました。
 また、これを所持しているだけで災難除けになるともいわれています。

 しかも扇子を開いた形、扇形を「八」の字に見立て「末広がり」に通ずるので縁起のよいものとしてきました。

 こうしたことからか、当時の紙の高価さもあいまって、扇子はめでたい席での引出物として、あるいは格の高い贈答品として使用されてきた歴史があります。

 しかし、中国、特に商家では扇子を贈り物に使わないそうです。それは、扇子の「扇」の字の発音が、多くの地域で「散る、散じる」という意味の「散」の発音と一致するところからといいます。
 その結果、中国では逆に「末すぼまり」として嫌われるそうです。

 なお、この扇子を開いた角度は中心角120度前後のものが主流であり、これは先述の和様タイプ菱形の内角(鈍角)と等しくなります。

素木
 いずれにしても日本人は素木(白木)を好んできました。

 たとえば床柱に限らず座敷で用いる柱や長押などの造作材も素木のまま使用します。また、外装材へも基本的に塗装を行いません。

 これに対し、唐様、たとえば寺院本堂の造作材には黒漆を塗ったり、あるいは場合によって金箔で加飾することもあります。

 素木を愛でることは中華文明だけでなく西洋キリスト教文明といった他文明にも見られない日本文明独自の性向です。

 たとえば欧州や米国では、もちろん強化や腐食防止が主目的なのでしょうが、木部の塀や外壁、あるいは内壁へもペンキなどで塗装し、安普請でも木材を素木のまま使用することがあまりありません。

 以上のことから、和様では自然をそのまま受け入れ、素のままの飾り気のない装飾を好むのに対し、唐様では自然に対抗、あるいは制覇しようとする姿勢が顕著で、素材をそのまま使うことに抵抗を覚える性向がある、といえるでしょう。

 ちなみに、針葉樹は一般に目が通り、見方によれば面白くない材ですが、素木における木理の美しさは広葉樹材と比較になりません。

 たとえば広葉樹材素木の木肌の平均光線反射率は、針葉樹材のそれと比較すると一般に半分ぐらいの値です。
こうしたこともあり広葉樹材は多く色付けして使用することが通例です。

 日本人の精神の深層には針葉樹の素木を好んできたように、あっさり、すっきりとしたもの、あるいはこうした心持ちを強く好む傾向があるようです。

 ただ、広葉樹材は針葉樹材に対して木目が強く現れ、見た目には変化に富む材です。日本人は、こうした広葉樹材の木目までも加飾とみなして敬遠してきたのでしょうか。
2011年07月02日(Sat)

『表具文化から探る日本のしきたりと和の心』-第Ⅲ.和漢の章(その18)

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ヒノキとマツ(キ)
 伊勢神宮の御神体は八咫鏡とされますが、これとは別に「真の御神体」と呼ばれるものがあります。
それは各正殿の床下に埋納される心御柱です。そして、この柱は檜材といわれます。

 こうした由縁からか、日本人は針葉樹崇拝の中でも特に檜信仰という独特の嗜好性を持ちます。

また、檜は仏像を造るのに用いる彫刻材、すなわち御衣木(ミソギ=御素木)の最適材として天平時代より連綿と用いられてきた、あるいは寺社建築材、特に伊勢神宮の遷宮に必須の建材であった、といったことから知れるように、檜は極めて格の高い木材とされてきました。

 ですから、「すぐ火がつく」から「火の木」となったとの説がありますが、日本と台湾でのみ生育する檜の語源は「日の木(日の本の男性神)」であったのかもしれません。

すると、御衣木に檜が用いられるのは、用材としての適性ばかりでなく、陰陽和合の一つの事例と考えることができるでしょう。
つまり、芯が和様(日の木)であり、外観が唐様(仏の姿)であるということです。

 ちなみに、北米産檜科の木で日本檜の特長を備えた米檜(ベイヒ)は、高価な檜の代替品として、すでに明治時代後半より輸入されています。
輸出する側では、当時の当地で、なぜ高く評価されていない米檜がよく売れるかが、はじめは理解できなかったそうです。

 松もまた日本人にとって神聖な常磐木です。日本神話によると特に黒松には神がその木に天降ることをマツ(待つ)意があり、これを松の語源とする説があります。

 また、能の題目で有名な高砂神話に登場する「尉と姥」も黒松と赤松の精霊という設定です。
さらに松は門松のような依代的な意味だけでなく、絵画の主題で樹齢の長い五葉の松(姫小松)が鶴亀とセットで表現されることからも、日本人は松に長寿の意を感じ取ってきました。

いずれにせよ、その名称に「キ(ギ)」こそ持たないものの、松が神道系の表現であることの証左は事欠きません。
 ただ、松は松木と称されることはあります。

 ところで、松は竹と梅を伴うと、ハレの祝儀事には欠かせないシンボルとなります。

これを日本で「松竹梅」といいますが、東洋画一般における画題としては「歳寒三友」と呼ばれます。
 中国では冬の寒さに耐えるものとして、この歳寒三友を尊びます。

松は常緑樹であるところから不変・長寿・不老不死を、竹は松と同じく雪霜(節操)に耐え節を保つところから志操堅貞を寓意し、梅は百花に先駆けて咲くところから慶びを示します。

 すなわち、松竹梅は「節を守り、厳しい苦難の歳月にも変心せず、花を咲かせて喜びのときを迎える」という三吉祥を揃えることで複雑な表現を可能にしたことから、日本では慶事のシンボルとなりました。

 ただ、松竹梅はあくまで中国由来のものであり、松竹梅のトリオのみならず、竹、梅の単独でも神事に用いることがありません。
そして、日本で松竹梅に描かれる竹は、幅の広い葉身だけで表現された笹であることが多いようです。

 つまり、松竹梅はその由来からも、唐様で用いる吉祥のシンボルなのでしょう。それは松竹梅が唐様の吉数「三」で構成され、ハレの場で用いられることからも知れます。

 なお、仏教では特に松を仏法不変や法灯の恒久的継続の象徴としてきており、禅語にも、たとえば「松無古今色」など松を詠み込んだ詩句が数多く見られます。

ナギとコウヤマキ
 熊野神社をはじめ多くの神社で神木とされる梛(ナギ)も常緑の針葉樹です。梛の葉身は針葉樹であるにもかかわらず広く、また強い縦脈があることから、これを縦に千切ることは容易ですが横に引き裂くことはなかなかできません。

これをもって、男女の縁が切れないようにと葉を鏡の裏に入れたり、御守り袋に入れて魔除けにしたそうです。さらに凪との音通から海難除けにも使われました。

 なお、梛の葉には微量の水銀が含まれ、先述したような不老不死を願ってか、修験者(シュゲンシャ)が好んで口にしたといいます。
修験者とは、山に籠もって修行を行い、さまざまな験(霊験)を得ることを目的とする修験道(シュゲンドウ)の実践者をいい、山伏(ヤマブシ)とも呼ばれます。

 ところで、日本密教は修験道と深い関係がありました。真言宗の開祖、空海は唐から密教を日本に伝え、丹生(丹砂が採取可能)の高野山に金剛峯寺を創建し、この高野山を高野山真言宗の総本山とします。

 一説に空海が膨大な費用を必要とした遣唐使の一員に私費で加われたのは、丹砂の利権を握っていた山岳修行者など山の民の援助があったからといわれます。

このためか、日本密教は山を神として敬う日本古来の山岳信仰の要素を取り込みます。逆に山岳信仰は神道、仏教、道教、陰陽道などが習合して日本独特の宗教、修験道として確立します。

 さて、高野山では日本固有種の常緑針葉樹である高野槇(コウヤマキ)が霊木とされます。この高野槇の名称は、この木が高野山で多く自生していたことに由来します。

 この高野槇が古代には最上級の棺材とされ、現在でも高野山を中心に供花の代わりとして利用されています。

 ちなみに、高野槇は樹形の美しさから世界三大庭園木や三大美樹に数えられ、今日では世界各地の公園や庭などに植えられています。
2011年07月01日(Fri)
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